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ページ番号:14845
更新日:2026年2月27日
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屋敷山古墳
やしきやまこふん
記入年月日 2016年11月24日

屋敷山古墳

竪穴式石室蓋石

長持形石棺
| 所在地 |
奈良県葛城市新庄 |
|---|---|
| 区分 | 遺跡|古墳 |
| 指定内容 |
国指定史跡 |
※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。
歴史文化資源の概要
古墳時代(5世紀中頃)に築かれた、全長約135mを測る前方後円墳です。かつては、古墳周辺に濠と堤がめぐっており、その痕跡は現在でも確認することができます。古墳はその後、中世においては有力な大和武士であった布施氏の「里の館」として、江戸時代においては新庄藩主を務めた桑山氏の陣屋として利用されたため、墳丘には著しい改変が加えられています。
埋葬施設は竪穴式石室で、石室内には長持形石棺が納められていました。埋葬施設は中・近世の改変の際、失われましたが、竪穴式石室の天井石1枚と、長持形石棺の蓋石などが発掘調査で見つかっています。これらの石材はいずれも兵庫県高砂市で産出される竜山石を使用しており、古墳の被葬者の実力の一端をうかがうことができます。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
葛城市最大の前方後円墳であり、葛城地域中部最大の前方後円墳でもあります。約500m南に位置する火振山古墳(前方後円墳・全長約90m)とともに、大型古墳による古墳群を形成していることも見逃せない要素のひとつです。古墳時代中期の葛城地域の様相を考える上で、欠くことのできない歴史文化資産です。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
記紀に登場する古代豪族葛城氏に関係する人物の奥津城と考えられます。
記紀によれば、古代豪族葛城氏は、始祖である葛城襲津彦以降、二系統に分かれます。そのうち葛城氏本宗家は、玉田宿祢から円大臣と引き継がれますが、後の雄略天皇によって滅ぼされます。もうひとつの葦田宿祢から蟻臣へと引き継がれる系統では、天皇に対し后となる女性を継続的に送り込んでいます。
葛城氏本宗家の本拠地は、現在の御所市にあることはほぼ間違いないと考えられます。対する葦田宿祢系葛城氏の本拠には諸説がみられますが、屋敷山古墳および火振山古墳は、葦田宿祢系葛城氏の奥津城である可能性が指摘できます。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
- 葛城襲津彦 古代豪族葛城氏の始祖とされています。仁徳天皇に娘である磐之媛を嫁がせます。
- 葦田宿祢 葛城襲津彦の後裔。娘の黒媛を、履中天皇に嫁がせます。
- 蟻臣 葦田宿祢の息子。娘の荑媛を、有力皇子であった市辺押磐皇子に嫁がせます。
当資源と関連する文献史料
『古事記』、『日本書紀』
他地域の関連する歴史文化資源
室宮山古墳(御所市)、掖上鑵子塚古墳(御所市)、火振山古墳(葛城市)、飯豊天皇埴口丘陵(葛城市)
| 問い合わせ先 |
葛城市歴史博物館 |
|---|---|
| 電話番号 |
0745-64-1414 |
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