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ページ番号:14858

更新日:2026年2月27日

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菖蒲池古墳

しょうぶいけこふん

記入年月日

菖蒲池古墳 家形石棺

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所在地

奈良県橿原市菖蒲町地内

区分 遺跡|古墳
指定内容

国史跡

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要

7世紀中頃に丘陵南斜面に築かれた一辺約30mの方墳です。埋葬施設は南に開口する横穴式石室であり、玄室には非常に優美な家形石棺が2基、縦に並んで安置されています。墳丘封土の大幅な削平・流失により石室が露出し玄室内を覗き見ることができる状態となっていたため古くから存在が知られていた古墳であり、昭和2年(1927年)には石室部分が国史跡に指定されています。墳丘の背面・側面には堀割が巡っています。古墳東側の外堤部分では、古墳に伴うと考えられる石敷遺構も確認されています。また、古墳の築造からそれほど時期を経ない藤原宮期頃(7世紀末頃)には、古墳の破壊を伴う大規模な土地改変が周辺一帯で行われています。

地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由

政治の中心が飛鳥の地にあった時代に築かれた古墳であり、その立地や古墳に見られる様々な要素から政権中枢に近い人物の墓であると考えられ、日本の古代国家形成過程を考える上で非常に貴重な古墳です。また、古くからその存在が知られ親しまれており、現在も多くの人々が現地を訪れています。

「記紀・万葉集」との関連とその概要

記紀や万葉集には飛鳥時代の墓制や埋葬行為、死生観に関係する記述が見られ、当時の社会を復元する手掛かりを与えてくれます。また実際の古墳から得られる情報は、さらに理解を促すものであり、時として文献資料と遺跡は飛鳥時代の理解を深める上で、相互補完的な関係を形成することとなります。そのため政権中枢に近い人物の墓であると考えられる菖蒲池古墳は、重要な資料として位置付けられています。

当資源と関連する歴史上の人物とその概要

菖蒲池古墳は被葬者について具体的な人名を挙げて議論されることも多い古墳です。特に近年は菖蒲池古墳の東方で小山田遺跡(小山田古墳)が発見されたことにより、議論が再燃しています。その中で蘇我蝦夷・入鹿親子が葬られた今来の双墓(大陵・小陵)の小陵を菖蒲池古墳に充てる意見や、その両者を菖蒲池古墳に葬ったと捉える意見などが見られます。一方、小山田古墳は舒明天皇の初葬陵とみられるとして、菖蒲池古墳を小陵ではないとする意見もある。その他、蘇我倉山田石川麻呂等の名が挙げられることもあります。このように蘇我氏の名前が挙げられる背景には、蘇我氏の邸宅が存在していた甘樫丘の目と鼻の先の位置に所在することが大きな要因となっています。

当資源と関連する文献史料

『日本書紀』『古事記』

他地域の関連する歴史文化資源

橿原市南部~明日香村周辺に所在する飛鳥時代遺跡群

 

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