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ページ番号:14878
更新日:2026年2月27日
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犬塚
いぬづか
記入年月日 2021年8月27日

犬塚


| 所在地 |
奈良県吉野郡吉野町窪垣内 |
|---|---|
| 区分 | 遺跡|古墳 |
| 指定内容 |
※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。
歴史文化資源の概要
旧国栖小学校の校舎建設時に移築された古墳です。須恵器の出土が報告されており、古墳時代後期の古墳とされています。現在も国栖小学校跡地にあたる国栖の杜敷地内で、移築後の古墳の埋葬施設をみることができます。吉野では、大海人皇子は壬申の乱がはじまる以前から、大友皇子に追われていたと伝わります。十市皇女の知らせで大友皇子の襲撃を知った大海人皇子は、吉野宮を脱出し、国栖で大友皇子の追手に追いつかれそうになります。そのとき、追手が伴っていたのがカグハナという犬(大海人皇子の愛犬だともいいます)でした。大海人皇子は国栖の翁に助けを求め、翁の船のしたに匿われます。そこにカグハナがやってきて、船のまわりをウロウロと嗅ぎまわりました。翁はとっさの機転でカグハナを打ち殺し、大海人皇子の難をすくったのでした。そのカグハナの遺体を葬った場所が犬塚だったと伝わります。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
吉野町内には大海人皇子にまつわる伝承が多く残されていますが、その中でも特に多く残されているのが国栖地域です。国栖地域では今も大海人皇子とのかかわりを大切にしており、犬塚は国栖と大海人皇子のつながりを示す場所の一つといえます。とくに、犬塚のある吉野町窪垣内(旧国栖村窪垣内)では、犬塚の話を理由に今も犬を飼わないようにされています。犬を飼ったり、犬の形をした置物を置いたりすると、不幸ごとにあうといいます。窪垣内にある御霊神社では狛「犬」も置かれておらず、それほど伝承を大切にされている場所だといえます。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
壬申の乱開戦前の大海人皇子にまつわる、いわばサイドストーリーの舞台です。吉野では、大海人皇子は壬申の乱がはじまる以前から、大友皇子に追われていたと伝わります。そして、国栖地域では国栖の翁に助けられたと伝わっており、その時のエピソードの一つがのこる場所です。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
【大海人皇子】天智天皇の弟。天智天皇の没後、壬申の乱に勝利して天武天皇となった。
即位後は官制改革、都の遷都、『古事記』編纂の指示、貨幣の発行、寺社の整備など様々な改革や取り組みを行ったことで知られる。後世の軍記物語でも紹介されるなど、人気が強い歴史上の人物のひとり。
【国栖人】応神天皇が吉野行幸した際に、もてなした記述が『日本書記』などにみられる。
当資源と関連する文献史料
大海人皇子の文献としては『古事記』『日本書紀』。
犬塚にまつわる文献としては『源平盛衰記』『謡曲 国栖』『吉野旧事記』『国栖由来記』。
当資源と関連する伝承
国栖で大友皇子の追手に追いつかれそうになった大海人皇子。大海人皇子は国栖の翁に助けを求め、翁のもつ船のしたに匿われます。すると、追っ手が伴っていたカグハナという犬(大海人皇子の愛犬だともいいます)が、船のまわりをウロウロと嗅ぎまわるではありませんか。翁はとっさの機転でカグハナを打ち殺し、大海人皇子の難をすくったのでした。そのカグハナの遺体を葬った場所が犬塚だったと伝わります。
他地域の関連する歴史文化資源
【ジジ河原・ババ河原】国栖の翁が船の下に皇子を匿った場所と伝わります。この場所で大海人皇子を追ってきた犬(皇子の愛犬ともいいます)は殺されました。
【御霊神社】皇子を助けた翁を祀っているといわれています。皇子を助けたときの石が境内に置かれています。また、狛「犬」が置かれていないという特徴があります。
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問い合わせ先 |
吉野町産業観光課 |
|---|---|
| 電話番号 |
0746-32-3081 |
近くの歴史文化資源
掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。


