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更新日:2026年2月27日

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犬塚

いぬづか

記入年月日 2021年8月27日

犬塚

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所在地

奈良県吉野郡吉野町窪垣内

区分 遺跡|古墳
指定内容  

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要

旧国栖小学校の校舎建設時に移築された古墳です。須恵器の出土が報告されており、古墳時代後期の古墳とされています。現在も国栖小学校跡地にあたる国栖の杜敷地内で、移築後の古墳の埋葬施設をみることができます。吉野では、大海人皇子は壬申の乱がはじまる以前から、大友皇子に追われていたと伝わります。十市皇女の知らせで大友皇子の襲撃を知った大海人皇子は、吉野宮を脱出し、国栖で大友皇子の追手に追いつかれそうになります。そのとき、追手が伴っていたのがカグハナという犬(大海人皇子の愛犬だともいいます)でした。大海人皇子は国栖の翁に助けを求め、翁の船のしたに匿われます。そこにカグハナがやってきて、船のまわりをウロウロと嗅ぎまわりました。翁はとっさの機転でカグハナを打ち殺し、大海人皇子の難をすくったのでした。そのカグハナの遺体を葬った場所が犬塚だったと伝わります。

地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由

吉野町内には大海人皇子にまつわる伝承が多く残されていますが、その中でも特に多く残されているのが国栖地域です。国栖地域では今も大海人皇子とのかかわりを大切にしており、犬塚は国栖と大海人皇子のつながりを示す場所の一つといえます。とくに、犬塚のある吉野町窪垣内(旧国栖村窪垣内)では、犬塚の話を理由に今も犬を飼わないようにされています。犬を飼ったり、犬の形をした置物を置いたりすると、不幸ごとにあうといいます。窪垣内にある御霊神社では狛「犬」も置かれておらず、それほど伝承を大切にされている場所だといえます。

「記紀・万葉集」との関連とその概要

壬申の乱開戦前の大海人皇子にまつわる、いわばサイドストーリーの舞台です。吉野では、大海人皇子は壬申の乱がはじまる以前から、大友皇子に追われていたと伝わります。そして、国栖地域では国栖の翁に助けられたと伝わっており、その時のエピソードの一つがのこる場所です。

当資源と関連する歴史上の人物とその概要

【大海人皇子】天智天皇の弟。天智天皇の没後、壬申の乱に勝利して天武天皇となった。
即位後は官制改革、都の遷都、『古事記』編纂の指示、貨幣の発行、寺社の整備など様々な改革や取り組みを行ったことで知られる。後世の軍記物語でも紹介されるなど、人気が強い歴史上の人物のひとり。
【国栖人】応神天皇が吉野行幸した際に、もてなした記述が『日本書記』などにみられる。

当資源と関連する文献史料

大海人皇子の文献としては『古事記』『日本書紀』。
犬塚にまつわる文献としては『源平盛衰記』『謡曲 国栖』『吉野旧事記』『国栖由来記』。

当資源と関連する伝承

国栖で大友皇子の追手に追いつかれそうになった大海人皇子。大海人皇子は国栖の翁に助けを求め、翁のもつ船のしたに匿われます。すると、追っ手が伴っていたカグハナという犬(大海人皇子の愛犬だともいいます)が、船のまわりをウロウロと嗅ぎまわるではありませんか。翁はとっさの機転でカグハナを打ち殺し、大海人皇子の難をすくったのでした。そのカグハナの遺体を葬った場所が犬塚だったと伝わります。

他地域の関連する歴史文化資源

【ジジ河原・ババ河原】国栖の翁が船の下に皇子を匿った場所と伝わります。この場所で大海人皇子を追ってきた犬(皇子の愛犬ともいいます)は殺されました。
【御霊神社】皇子を助けた翁を祀っているといわれています。皇子を助けたときの石が境内に置かれています。また、狛「犬」が置かれていないという特徴があります。

 

問い合わせ先

吉野町産業観光課

電話番号

0746-32-3081

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