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ページ番号:14997
更新日:2026年2月27日
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うれし峠
うれしとうげ
記入年月日 2021年8月27日

うれし峠の遠景(南国栖)


| 所在地 |
奈良県吉野郡吉野町樫尾・南大野・南国栖 |
|---|---|
| 区分 | 古道・古街道|古道・古街道など |
| 指定内容 |
|
※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。
歴史文化資源の概要
吉野町矢治・南大野と吉野町南国栖を結ぶ峠道です。峠にはお地蔵さまが祀られています(お地蔵さまのいわれは、よく分かりません)。この道には大海人皇子(天武天皇)が通った道だ、という伝承があります。なお、うるしがたくさん生えていたので「うるし峠」と呼ばれたのだ、という異なる伝承も残っています。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
吉野町内には大海人皇子にまつわる伝承が多く残されていますが、その中でも特に多く残されているのが国栖地域です。国栖地域では今も大海人皇子とのかかわりを大切にしており、この峠もそんな伝承の一つです。また、地元出身の方によって復興された道ですので、地域にとって今後も大切な資源になるものと思われます。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
壬申の乱開戦前の大海人皇子にまつわる、いわばサイドストーリーの舞台です。大海人皇子が歩いた伝承がのこります。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
【大海人皇子】天智天皇の弟。天智天皇の没後、壬申の乱に勝利して天武天皇となった。即位後は官制改革、都の遷都、『古事記』編纂の指示、貨幣の発行、寺社の整備など様々な改革や取り組みを行ったことで知られる。後世の軍記物語でも紹介されるなど、人気が強い歴史上の人物のひとり。【国栖人】応神天皇が吉野行幸した際に、もてなした記述が『日本書記』などにみられる。
当資源と関連する文献史料
大海人皇子の文献としては『古事記』『日本書紀』。うれし峠については『吉野町史』に伝承が掲載されています。
当資源と関連する伝承
この道には大海人皇子(天武天皇)が通った道だ、という伝承があります。
他地域の関連する歴史文化資源
【ジジ河原・ババ河原】国栖の翁が船の下に皇子を匿った場所と伝わります。【天皇淵】この淵を渡って、大海人皇子は岩屋に隠れたといいます。また、大海人皇子が半身食べたウグイを川に放ったところ、そのウグイが泳ぎだした場所だとも伝わります。【片腹淵】大海人皇子が半身食べた鮎(ウグイとも)を放つと、その鮎が泳ぎだしたと伝わります。【衣笠山】大海人皇子が岩屋に隠れていた時、天女が舞い降りてこの山に衣をかけたと言います。【浄見原神社】大海人皇子が身を隠した岩屋の跡であり、天武天皇以来宮中で奏上してきた国栖奏を行うために建てられたと伝わる神社です。
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問い合わせ先 |
吉野町産業観光課 |
|---|---|
| 電話番号 |
0746-32-3081 |
近くの歴史文化資源
掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
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