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更新日:2026年6月5日
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学芸員の部屋
ここでは当館学芸員のコラムを随時掲載していきます。
2026年6月5日
学芸員 飯島 礼子
個人蔵《正倉院文様象牙撥鏤飾櫛》からたどる吉田文之の足跡
1.はじめに
6月14日まで開催している令和8年度特別陳列「日本の伝統文化を知る 刀と撥鏤」は、刀と撥鏤とで二部立ての展覧会としています。撥鏤の部では重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)に認定されていた吉田文之(1915―2004)を取り上げています。
文之は奈良生まれの奈良育ち。明治~昭和初期に活躍した奈良の漆工・吉田立斎の子であり、もとは漆に取り組んでいました。兵役による11年の中断を経て、撥鏤の制作に専念するのは戦後のことです。文之の対談やインタビューの内容を総合すると、昭和22年(1947)頃に撥鏤の研究と制作に取り組み始め、昭和30年(1955)頃には制作の主軸が撥鏤に移行していたようです[※1]。昭和62年(1987)に奈良市から田原本町に転居しましたが、生涯を奈良県で過ごした奈良ゆかりの作家ということになります。
2.参考出品の《正倉院文様象牙撥鏤飾櫛》
さて、この展覧会の準備が大詰めになった頃、個人所蔵品の《正倉院文様象牙撥鏤飾櫛》の存在を知ることができました。参考出品として5月10日から展示している作品です(写真1)。櫛の棟の部分を緑に染め、表側は11区画に分け、花喰鳥・四弁花・蝶・唐花の文様を表し、裏側には唐花文のみを配置しています。
(写真1)吉田文之《正倉院文様象牙撥鏤飾櫛》個人蔵
表側は区画の間を線で区切ったり、花の文様と生き物(鳥や蝶)の文様を交互に並べたりしていて、撥鏤尺を連想させるデザインです。しかしながら正倉院宝物の尺(中倉51第2号)の側面に見られる四弁花文を入れるなど、撥鏤尺の文様をそのまま転用しているのではなく、正倉院宝物に見られる文様を熟知し、制作する作品に合わせて再構成していることが分かります(写真2)。撥鏤尺の場合は2~3㎝の幅に文様を彫っていきますが、本作では1㎝強の幅しかないため、文様はシンプルに整理されています。唐花文は当館所蔵の《正倉院文様象牙撥鏤装身具》(写真3)などと共通するタイプのものです。館蔵の装身具は寄贈者から聞き取った談話から昭和40~50年に制作された作品と推測されます。後述するとおり参考出品の飾櫛は昭和54年(1979)までに制作されたことが明らかで、このころの文之の制作の傾向を読み取る手がかりになるかもしれません。
(写真2)吉田文之《正倉院文様象牙撥鏤飾櫛》個人蔵 部分

(写真3)吉田文之《正倉院文様象牙撥鏤装身具》当館蔵
3.昭和天皇皇后の行幸啓
さてこの作品には共箱があり、蓋裏に「昭和五十四年十二月三日天皇皇后両陛下奈良行幸啓の際天覧の栄に浴す」「寧楽 文之作」との箱書があります(写真4)。この行幸啓は12月3日から5日までの2泊3日の行程で行われたものでした。『昭和天皇実録』や当時の新聞記事によると、12月3日に東京を出て13時半に奈良県庁に到着、出土品や平城京復元模型などを見学後、聖武天皇陵・聖武天皇皇后陵に参拝し、正倉院で東大寺献物帳や螺鈿紫檀五絃琵琶など20点の宝物を見学して宿泊先の奈良ホテルへ向かったことが分かります[※2]。しかしながら文之の作品の天覧に関する記録は見られません。そこでこの行幸啓に関する奈良県庁文書を調べたところ、奈良県が実施機関となって、宿泊先である奈良ホテルの客室2室を会場にあてて天覧品を展示していたことを確認できました[※3]。
天覧品は天皇皇后が滞在中の2日間、観賞用展示品と買上用展示品に分けて展示されています。このうち観賞用展示品の部屋には奈良の伝統工芸品や花卉類が展示されました。展示目録を見ると奈良漆器や奈良一刀彫、赤膚焼など、奈良の伝統工芸として知られる各分野をほぼ網羅した内容になっており、この中に吉田文之が制作したこの飾櫛も出展されていました。したがってこの作品の制作年は昭和54年までに絞ることができます。共箱があっても制作年まで記されていないことがほとんどで、制作年の推定が困難なケースが多い文之の作品の中では、貴重な存在と言えます。
ちなみにこの飾櫛は、文之がしばしば足を運んだ奈良市内の料理店に伝わったものです。こうしたエピソードを聞くと、吉田文之が奈良で暮らし、活躍した作家だったことがより鮮明になります。郷土ゆかりの作家を取り上げる醍醐味のひとつです。

(写真4)吉田文之《正倉院文様象牙撥鏤飾櫛》個人蔵 蓋裏
注
[※1]青山茂編著『正倉院の匠たち』1983年 草思社 pp.20-21、『奈良県工芸協会四十周年記念 ならの工芸 四方山ばなし』1989年 奈良県工芸協会 p.18
[※2]『昭和天皇実録 第十七』2018年 東京書籍株式会社 pp.122-123
[※3]「天皇、皇后両陛下行幸啓一件綴[諸班諸係]」奈良県庁文書 1979年
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