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更新日:2026年2月27日

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聖武天皇即位1300年記念奈良県文化施設連携企画 「東大寺を創ったひとびと~四聖御影を中心に~」

ここでは当館学芸員のコラムを随時掲載していきます。

聖武天皇即位1300年記念奈良県文化施設連携企画「東大寺を創ったひとびと~四聖御影を中心に~」を開催して

11月28日

三浦 敬任

基調講演と座談会

当館では10月27日(日曜日)に当館ギャラリーで「東大寺を創ったひとびと~四聖御影を中心に~」と題して基調講演と座談会を開催いたしました。多くのみなさまのご参加、誠にありがとうございました。

基調講演では、東大寺第224世別当の橋村公英師をお招きし、東大寺に伝わる四聖御影(ししょうのみえ)を話題にご講演いただきました。四聖御影がかつて四聖の遺徳を偲ぶ儀礼に懸けられた本尊であったことや、江戸時代には四聖坊において正倉院開封の際に荘厳として懸けられていたことなど、スライドをつかってわかりやすくお話いただきました。また、東大寺に伝わる四聖の伝説から東大寺大仏建立の詔の「読み方」まで盛りだくさんな内容となりました。

座談会では奈良県立図書情報館千田稔館長と橋村公英別当そして籔内佐斗司館長に、聖武天皇や光明皇后を歴史上でどう捉えるべきかといった刺激的な内容の話題で、ざっくばらんにお話をいただきました。

充実したイベントであったがゆえに、限られた人々しか聞けなかったのはもったいないということで、このイベントの内容の活字化の準備を進めております。

座談会の様子

謎の眉間寺

さて、このイベントの中心テーマとなった「四聖御影」(永和本)は、東大寺末寺として明治初めまで存在した眉間寺に伝わった絵画と知られます。今回の「学芸員の部屋」では眉間寺に関する資料や伝来した寺宝について簡単にご紹介いたします。

まず、よく知られる史料として『和州寺社記』第二巻(寛文6年(1666))や秋里籬島『大和名所図会』巻之二(寛政3年(1791))といった近世地誌類が挙げられます。前者は眉間寺の歴史と名物を端的にまとめていて、

眉間寺は天平勝宝八年丙申五月二日、聖武天皇御年五十六歳にして崩御し給ひ、此所に葬奉り、傍に寺を建給ひ、今に廟あり、二重の塔あり。本尊は地蔵菩薩、霊宝には聖武御所持の舎利、同御受戒の持衣、宸筆の最勝王経あり。毎年五月二日、東大寺の諸僧会合して法事あり。本堂後の方に光明皇后の廟あり(中略)宗旨は戒律宗なり。*1

と見えます。後者には眉間寺境内の様子(下図)が表されます。近世の眉間寺は聖武天皇陵のふもとに地蔵堂、鐘楼、観音堂、太子堂などの堂舎が立ち並ぶ広い寺地を持ち、聖武天皇遺愛の品が納められる寺院として知られていました。

『大和名所図会 巻之二 眉間寺』*2

また、眉間寺という寺号に関しては、今西伊之吉『大和志料』が引用する『佐保山眉間寺住持次第考』が

東大寺縁起曰く、当山の建立は天平勝宝六年七月八日也。眺望寺、今は眉間寺と云う。村上天皇御宇天徳二年四月二日、眉間の舎利出現し、これを奏聞す。眉間寺と称し、勅額を賜る。*3

と記載しており、はじめ眺望寺と呼ばれ、村上天皇の時代に(本尊の?)眉間から舎利が出てきたことによって眉間寺と号するようになった伝説があったようです*4。

次に「四聖御影」(永和本)と同じくかつて眉間寺に伝来した寺宝をご紹介します。橋村別当には聖武天皇陵の前の佐保川を渡る石橋の遺構を今は東大寺東南院の庭に架けているという、大変興味深いお話を聞かせて頂きました。東大寺には「四聖御影」や石橋のほか、勧進所阿弥陀堂に阿弥陀如来像、釈迦如来像、薬師如来像が伝来しています。勧進所に伝わった正確な経緯はわかりませんが、『新編明治維新神仏分離史料 第八巻』には

東大寺境内、東南院(今の東大寺寺務所)の東南隅(宝蔵の東)に一宇の堂あり、今聖武天皇を奉祀するを以て、俗に天皇殿といふ、これは元東照宮にして、旧幕時代には、徳川家康以下歴代将軍の位牌を安置したるところなり。而して聖武天皇は今の勧進所に奉安せしなり。然るに、維新の改革に際し、王政復古するや、一山の大衆は、忽ち徳川将軍の位牌を撤して、此に天皇を奉祀し以て現今に及べり。毎年五月此に天皇祭を執行せり。*5

と示されています。明治初期の勧進所には聖武天皇の御影が安置され、さらに現在の聖武天皇祭や山陵祭につながる天皇祭が行われたことが知られます。聖武天皇を奉る点で眉間寺との関係があり、仏像がもたらされたのでは、と想像されます。

東大寺のほか奈良市内では、油阪の西方寺の本尊の阿弥陀如来像や伝香寺の石仏、伝香寺近くの来迎寺の本尊阿弥陀如来像も眉間寺由来とされます。学園前の大和文華館には「南都眉間寺」の墨書がある「羅漢図」が3幅所蔵されており、これらは東京・根津美術館所蔵の「羅漢図」2幅と一具であったという研究もあります*6。これら眉間寺の寺宝を丁寧に追っていくことにより、歴史が明らかになっていくのではないでしょうか。

  • *1 国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/pid/2540218)
  • *2 奈良県立図書情報館 まほろばライブラリー(https://meta01.library.pref.nara.jp/opac/repository/repo/138946/)
  • *3 奈良県立図書情報館まほろばライブラリー(https://meta01.library.pref.nara.jp/opac/repository/repo/138805/)を参照し、筆者が読み下す。
  • *4 眉間寺関係資料については、橘悠太「眉間寺についての一考察―新修東大寺文書聖教中にみえる中世文書の紹介をかねて―」『新修東大寺文書聖教調査報告書:東大寺図書館所蔵』国立文化財機構奈良文化財研究所、2024年が詳しい。
  • *5 辻善之助、村上専精、鷲尾順敬共編『新編明治維新神仏分離史料 第八巻』名著出版、1983年、p117(原書は『明治維新神仏分離史料』全五巻、東方書院、大正15年~昭和4年)を適宜新字体に改めた。
  • *6 増記隆介「南都眉間寺旧蔵羅漢図試論」『大和文華』106号、2001年

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