印刷
ページ番号:24172
更新日:2026年6月5日
ここから本文です。
第82回(2026年5月5日)特別陳列「日本の伝統文化を知る 刀と撥鏤」開催にあたって(深谷 聡)
2026年5月5日
学芸員 深谷 聡
特別陳列「日本の伝統文化を知る 刀と撥鏤」開催にあたって
1.はじめに:「日本の伝統文化を知る」展覧会シリーズ
現在開催中の特別陳列「日本の伝統文化を知る 刀と撥鏤」は、タイトルにあるように「刀」と「撥鏤」の2分野を取り上げ、二本立ての展覧会として開催しています。当館で令和6年度に開催した「日本の伝統文化を知る 江戸のきもの」展のコンセプトをシリーズ化したもので、当館の所蔵作品を中心に奈良や日本の伝統文化にまつわるテーマを展覧会ごとに設定して、その魅力を発信していこうと企画したものです。
本展の「刀の部」は、日本刀の多面的な魅力を奈良という土地の歴史とも絡めて紹介する展覧会です。刀剣に詳しい人はもちろん、「日本刀に興味はあるが、どこを見ればよいのか分からない」という人に向けた、“刀剣鑑賞への入口”となることを目指しています。
今回のコラムでは、刀剣の部担当から、本展の内容について紹介します。
2.展覧会について
現在「日本刀」と呼ばれる刀剣類は、日本で制作された鉄製の刀剣類を指しますが、その歴史を辿ると、武器を出発点としながらも、武力や権力の象徴として、また神社や寺院の宝物や奉納品としても扱われながら、同時に鑑賞の対象としても長く愛好されながら発展してきたことが分かります[1]。現在では登録制度のもとで美術刀剣、伝統工芸や美術品として扱われると共に、武術に使用する武器としての用途もいまだ健在です。日本刀の特徴とは、「武器」「歴史資料」「工芸品」「美術品」という複数の側面が渾然一体となりながら、長く人々を魅了している点にあります。
このように、日本刀は、美術分野の中でも独特な存在です。絵画や彫刻のように「何が描かれているか」「どんな技法が使われているか」などを中心に鑑賞する作品とは異なり、刀の素材である鉄が、鍛錬という独特の制作工程を経て生み出す質感や、形状の違い、刃文の微妙な変化など、刀特有の非常に多くの要素によって鑑賞され、独特の難しさと楽しさがあるといえます。
例えば、刀剣の解説では、「姿」「反り」「地鉄」「鍛え肌」「刃文」「銘」といった専門用語が数多く用いられます。さらに、時代による変化、流派ごとの特徴、刀工個人の作風など、大きな区分から、詳細な部分へと至る視点によって鑑賞は行われていきます。そのため、初めて刀を見る人にとっては、違いが分かりにくく感じられることも少なくありません。
一方で、展示ケースの中で照明を受けて輝く刀身を前にすると、実に様々な表情を持っていることに気づきます。緊張感のある反りの曲線、光の中に現れる地鉄や刃文は、刀が確かに一振りごとに異なる個性を持っていることを雄弁に語ってくれます。

鋒(刀 銘(表)(葵紋)於武州江戸越前康継_当館蔵 )
近年、美術館や博物館での刀剣展は幅広い世代の人気を集めています。多くの展覧会では刀剣を単なる武器ではなく、日本文化や工芸の重要な分野として、名刀の来歴だけではなく、「刀の魅力とは」という視点が重視されているように感じます。本展でも、刀の部のタイトルを「刀の表情にふれる」としたのは、「さまざまな刀の表情を見る」ことを意図したためです。「武器」「宝物」「美術工芸品」などの刀剣の立ち位置、刀が生み出される状況、そして個々の刀には、豊かな「表情」があるということを、刀剣鑑賞の第一歩として構成しています。また、難解な用語については、写真はもちろん、書籍などの情報も現代よりもずっと限られていた時代から、刀の特徴やみどころを共有するための工夫を重ねてきた先人たちの知恵の結晶としてとらえ、実際の作品を通して、違いを理解し、鑑賞するための言葉として紹介できるようにと考えています。
3.奈良の刀剣の歴史と奈良県立美術館の刀剣類のコレクションについて
多くの日本の伝統文化と同様に、奈良は刀の歴史を語る上でも重要な土地です。古代から都が置かれた奈良では、早くから大陸の鍛冶技術が伝わり、東大寺の正倉院には奈良時代の刀剣が現在まで伝えられています。そこには兵杖とよばれる実用的な刀だけではなく、儀仗という華麗な装飾を施した儀礼用の大刀も含まれており、古代から既に刀剣が権威や美術性と深く結びついていたことが分かります。
中世に入ると、奈良の大寺院は広大な荘園を有し、その防衛のために僧兵を抱えるようになります。そうした奈良の土地ならではの状況の中で刀剣の需要が高まり、奈良ではのちに五ヶ伝とよばれる大きな産地のうちのひとつ、大和伝と呼ばれる刀剣の流派が生まれました。
大和伝は、日本刀の五ヶ伝の一つに数えられます。大和伝は更に、千手院派、手掻派、尻懸派、当麻派、保昌派の「大和五派」として奈良(大和国)の各地に拠点を持ちます。「千手院」・「当麻」といった寺院そのものの名前や、東大寺の転害門の地を由来とする「手掻」など、大和伝の刀剣の生産は寺院との強い結び付きの中で発展しました。
大和伝の刀は、まっすぐに流れる柾目肌に直刃、高い鎬を持つ姿が特徴です。こうした華麗な装飾性よりも実直さを重視した作風からも、寺社との強い結びつきのある奈良の刀の特徴が伺えます。無銘の作品が多いことも、そうした性格にもとづくものかもしれません。

(短刀 銘 大和則長_談山神社蔵)
ところで、奈良県立美術館の刀剣資料の中核をなすのは、日本画家であり風俗研究家でもあった吉川観方旧蔵の武具コレクションです。このコレクションは、「名刀の収集」というよりも、時代ごとに変化する外装や、鐔をはじめとした刀装具が主なもので、風俗史研究や絵画制作のための資料としての性格が伺えるとともに、刀身だけではなく刀装具を含めた総合的な美術鑑賞の文化であることを示すコレクションということが分かります。
4.本展の展示について
刀剣の展覧会では、詳しい人には自明の内容でも、初めて見る人にとっては何をどうやって見ればよいのか分からないこともあると思います。本展では、専門用語だけで完結するのではなく、「なぜそこが見どころなのか」を重視しています。
また、刀剣の展示では光(照明)の当て方も非常に重要です。日本刀の刀身は専門の職人(研師)による研磨によって鏡のように磨き上げられているため、照明が暗いのはもちろん、適切な角度で照明が当たっていないと、刃文や地鉄は見えてきません。特に刃文は、真正面から見るだけでは分かりづらく、少し位置を変えることで光の角度が変わり、ある角度で突然浮かび上がって見えることがあります。地鉄もまた、光の当たり方によって明るく見えてくることがあります。そのため刀剣展示では、「作品を明るく照らす」こと以上に、「刀身の詳細が見える光の角度」を探る必要があります。本展でも、刀身に映り込む光の角度や強さを細かく調整し、それぞれの刀の表情ができるだけ見えるよう工夫しています。
刀の鑑賞は本来、実際に手に取って照明の光を様々な角度であてながらためつすがめつ行うものですので、展示ケースのガラス越しの展示は非常にもどかしく、何か工夫できないものかといつも考えているところではあります。

(展示ケース越しの刀(刀 銘(表)備前長船祐定(裏)元亀三年八月日_当館蔵)
ちなみに、鑑賞にあたっては、見る位置(視点)を変えてみることもポイントです。展示ケース越しであっても、角度を変えながら見ることで、刃文や地鉄が不意に現れる瞬間があります。そうした「見えた」という体験は、刀剣鑑賞の大きな魅力の一つといえるでしょう。
筆者である私自身、刀を取り扱ったり、展示したりする機会は美術館に勤務してから長い間ありませんでした。10年以上前、当館所蔵の月山貞一(二代)の刀を展示する際に、貞一先生のご子息であり、現在の月山派の当主である月山貞利先生を訪ねて、その場で貞利先生に刀の取り扱いを、それこそ刀袋の開け方からご教示いただいたことがきっかけで、おずおずと刀の世界へと足を踏み入れていきました。鞘から抜いた刀の重みを感じた経験は、その後展示ケース越しに刀を見るときにも大いに影響しています。
5.おわりに
日本刀は、冷たい鉄から生み出された工芸品でありながら、豊かな表情を持っています。そこには、戦いの歴史だけではなく、刀を所有し、守り伝えてきた人々の祈りや美意識、職人たちの技術、そして長い鑑賞文化の積み重ねがあります。奈良という土地は、古代から続く寺社文化や鍛冶の歴史を通じて、そうした刀剣文化と深い関わりを持つ土地でもあります。本展では、刀そのものだけではなく、刀装具や関連資料も含めながら、日本刀という文化の広がりを紹介しています。特に、初めて展覧会で刀を見る方にとっては、その奥深い世界への入口として、刀のさまざまな「表情」に触れていただくきっかけとなれば幸いです。
[1] 14世紀の作品である重要文化財「松崎天神縁起」(防府天満宮蔵)には、室内で刀剣を鑑賞する姿が描かれており、既にこの頃には特年を鑑賞するという行為が行われていたことがうかがえます。