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ページ番号:14992
更新日:2026年2月27日
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龍田古道
たつたこどう
記入年月日 2020年4月13日

龍田大社

龍田山

亀の瀬
| 所在地 |
1.近鉄信貴山下駅~2.JR三郷駅~3.JR河内堅上駅 |
|---|---|
| 区分 | 古道・古街道|古道・古街道など |
| 指定内容 |
|
※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。
歴史文化資源の概要
龍田古道(龍田道)は飛鳥時代、奈良時代において大和の都と河内を結ぶ官道として置かれ、『日本書紀』の中で推古21年(613年)11月に「難波より京に至る大道を置く」とあり、斑鳩に居を構えた聖徳太子が設置したわが国最初の官道であったと考えられています。地すべり地である亀の瀬を越える箇所については大和川沿いの道のほか、三室山・雁多尾畑(柏原市)を抜ける道など、幾つかのルートが考えられています。『万葉集』でも多くの歌人がこの龍田道を通り国境の龍田山を越える際に多くの歌を残しており、地理的にも心理的にも重要な地であったことがうかがえます。また、軍事的にも要衝であったことは、高安城の築城や天武元年(672年)の壬申の乱にて戦場となったこと、天武8年(679年)11月に龍田山に関を設けたことなどからもうかがえます。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
三郷町の歴史は大阪と奈良を繋ぐ要衝としての特徴が強く、それは現在においても同様です。その特徴を示すときに最も重要な文化資源として龍田古道があり、大和川水運や亀の瀬とともに奈良と大阪の交通、物流の歴史にとって特に重要なものです。また、国家単位でも遣隋使や遣唐使、遣新羅使なども利用した可能性が高い道であり、大陸との交流という意味合いからも重要な文化資源です。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
上記の通り。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
聖徳太子(万葉集巻3-415)、高橋虫麻呂(万葉集巻6-971、6-972、9-1747~9-1752)、大伴家持(万葉集巻20-4395)、藤原道長(『扶桑略記』治安3年(1023年)10月)、徳川家康(大坂夏の陣)など
当資源と関連する文献史料
三郷町役場『三郷町史』上・下巻 1976、柏原市立歴史資料館『亀の瀬の歴史-大和・河内をつなぐ道-』2015など
当資源と関連する伝承
「亀石が動くと奈良が水に沈む」という伝承があり、この「亀石」とは飛鳥ではなく亀の瀬の「亀岩」と言われている。「亀岩」には龍田大明神がいると言われてきた。
他地域の関連する歴史文化資源
旧奈良街道、龍田大社、龍田山、亀の瀬(柏原市)、竹原井頓宮(柏原市)、河内六寺(柏原市)など
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問い合わせ先 |
三郷町教育委員会事務局生涯学習課 |
|---|---|
| 電話番号 |
0745-43-7332 |
近くの歴史文化資源
掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。


