トップページ > 観光・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 文化芸術振興 > 奈良県歴史文化資源データベース「いかす・なら」 > 出会う > 奈良県歴史文化資源データベース > 古道・古街道など > 下ツ道
印刷
ページ番号:14999
更新日:2026年2月27日
ここから本文です。
下ツ道
しもつみち
記入年月日 2025年1月31日

下ツ道


| 所在地 |
大和郡山市八条町~天理市南六条町 |
|---|---|
| 区分 | 古道・古街道|古道・古街道など |
| 指定内容 |
奈良県指定史跡 |
※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。
歴史文化資源の概要
下ツ道は、奈良盆地を南北に縦貫する三つの古代道路のうち、西側に位置する道路です。現在の奈良市佐紀町から橿原市見瀬町まで、約25km分が直線道となっています。
下ツ道の敷設時期には諸説ありますが、『日本書紀』の壬申の乱関連の記事中に見えることから、飛鳥時代(7世紀)後半にはその存在が確認できます。下ツ道は、藤原京域では西四坊大路、平城京域では大きく拡幅され朱雀大路につながっており、両古代都城の造営計画にも密接に関係する道路です。その後、奈良盆地の条里地割の基準にもなり、近世には一部が中街道として利用されました。下ツ道の痕跡は、現在も道路や土地区画として遺存地割として確認することができるなど、現在も生きる遺跡といえます。
平成14(2002)年度から開始された「郡山下ツ道ジャンクション」の建設に伴う一連の発掘調査で、下ツ道の東西両側溝が良好な状態で検出されました。これまでも、下ツ道に関わる遺構は奈良市や橿原市域などで検出されていましたが、部分的な検出にとどまっていました。本例のように、160m以上にわたって両側溝が検出された事例はほかにありません。
本例での下ツ道の幅は、東西両側溝の溝心々間距離で23.9m、東側溝の幅は6~12m、深さは1.4~2mで、西側溝の幅は1.1m、深さ0.5mです。東側溝は、土層の状況と出土遺物により、奈良時代(8世紀中頃)から埋没が進行し、平安時代(9世紀後半)には概ね埋没、その後は耕作地となった状況が確認されています。また、東側溝からは、橋脚に伴う木杭のほか、人面墨書土器や土馬、絵馬、人形、斎串(いぐし)といった祭祀関連遺物が出土しており、下ツ道の利用状況もうかがます。
このように、本例は、古代の基幹道路といえる下ツ道の直線性を実際の遺構として確認できる貴重な資料であるとともに、下ツ道の道路としての利用状況及び、その後の土地利用実態について、考古学的にその変遷を捉えることができる重要な資料であると位置づけられます。
|
問い合わせ先 |
奈良県文化財課 |
|---|---|
| 電話番号 |
0742-27-9864 |
掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。