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ページ番号:14945
更新日:2026年2月27日
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片岡八郎墓及び片岡春利墓(所在:達磨寺)
かたおかはちろうはか、かたおかはるとしはか
記入年月日 2016年6月30日

片岡八郎墓及び片岡春利墓


| 所在地 |
奈良県北葛城郡王寺町本町2丁目1番40号 |
|---|---|
| 区分 | 遺跡|その他 |
| 指定内容 |
|
※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。
歴史文化資源の概要
もともと達磨寺境内の西側に片岡春利の墓がありました。片岡春利は片岡地域を勢力圏に置く武士団の当主で、戦国期には片岡城(上牧町)を築いて拠点としていました。片岡氏は達磨寺を菩提寺としていたため、ここに片岡春利の墓が設けられたと伝えられています。一方、片岡八郎は片岡家第17代当主で、元弘2年(1332年)に大塔宮護良親王を守って十津川にて討死した人物です。大正4年(1915年)に片岡八郎に正五位が贈られたことを契機に、王寺町で片岡八郎公顕彰会が組織され、同会によって昭和52年(1977年)に片岡八郎・春利の墓石が新設されました。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
王寺町出身の武士団で、とくに片岡八郎に関しては町の偉人として顕彰されています。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
『日本書紀』推古天皇21年(613年)12月条に、聖徳太子が飢人と出会い、助け、埋葬したところ、その飢人の遺体が消えてなくなったとされる飢人伝説があります。のちに飢人が達磨大師の化身とされて達磨寺が開基されました。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
大塔宮護良親王。鎌倉幕府を倒すために父・後醍醐天皇とともに戦った人物です。
当資源と関連する伝承
片岡八郎は十津川村玉置山腹で大塔宮を守るために戦死したといい、その場所は花折塚と呼ばれて石碑が建立されています。片岡八郎公顕彰会では、毎年5月に花折塚を参拝しています。
他地域の関連する歴史文化資源
十津川村の花折塚
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問い合わせ先 |
王寺町 地域整備部 地域交流課 文化資源活用係 |
|---|---|
| 電話番号 |
0745-72-6565 |
近くの歴史文化資源
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