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ページ番号:14933

更新日:2026年2月27日

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上之宮遺跡

うえのみやいせき

記入年月日 2016年7月19日

園池遺構(北東より)

四面庇付建物跡(南より)

上之宮史跡公園

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所在地

奈良県桜井市上之宮

区分 遺跡|その他
指定内容

市指定史跡

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要

桜井市街地南側の低丘陵上に立地する上之宮遺跡では、発掘調査により6世紀から7世紀にかけての重要な遺構・遺物が多数確認されています。なかでも石組みによる園池遺構や溝、四面庇付大型建物、日本列島で最古級の事例である木簡やベッコウの存在が注目され、これらは飛鳥時代の有力者の居館に伴うものであると考えられています。この居館遺構については、付近を根拠地とした有力氏族である阿倍氏の居館跡とする考えもありますが、この地は「上之宮」という地名から、古くより廐戸皇子(聖徳太子)の「上宮」の推定地とされてきたところでも

地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由

上之宮遺跡は聖徳太子ゆかりの地と推定され、地域の方の誇りとなっています。

「記紀・万葉集」との関連とその概要

『日本書紀』の用明紀と推古紀に、斑鳩宮に移る以前の廐戸皇子(聖徳太子)の居所として「上宮」「上殿」が表れています。上之宮遺跡の居館遺構は、地名や発掘調査で確認された遺構の内容・時期から、この「上宮」「上殿」に相当する可能性があると考えられています。

当資源と関連する歴史上の人物とその概要

上之宮遺跡が有力候補地とされる「上宮」は、若年期の廐戸皇子(聖徳太子)の居所であったとされています。廐戸皇子は用明天皇の皇子で上宮廐戸豊聡耳皇子とも称され、推古天皇の摂政として仏教を中心とした古代国家の形成に多大な業績を残しました。日本古代史上でも最も知られる人物の一人となっています。

当資源と関連する文献史料

上之宮遺跡に存在が推定される「上宮」に関する記述は、『日本書紀』のほか『上宮聖徳法王帝説』などにもみられます。また、桜井市の大字上之宮と「上宮」を結び付ける考えは、少なくとも江戸後期より存在し、本居宣長の『古事記伝』がその中でも最も古いものと考えられています。

当資源と関連する伝承

上之宮遺跡の南方に鎮座する春日神社の周辺は、かつて古瓦が出土したことが伝えられており、古代寺院が存在したと推定されます。その後身寺院にあたるであろう上宮寺には、後鳥羽院の宸筆の額が存在したことが『和州旧跡幽考』に記されています。

他地域の関連する歴史文化資源

上之宮遺跡は、明日香村の橘寺などの古代寺院や飛鳥の宮跡、斑鳩町の法隆寺や斑鳩宮、これらを結びつける太子道などとともに、廐戸皇子(聖徳太子)に関連する重要な歴史文化資源の一つとして挙げることができます。

 

問い合わせ先

桜井市 観光まちづくり課

電話番号

0744-42-9111(内線:342)

近くの歴史文化資源

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見解・学説等の相違については、ご了承ください。

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