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ページ番号:14905
更新日:2026年2月27日
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長林寺
ちょうりんじ
記入年月日 2016年8月9日

長林寺金堂基壇

現在の長林寺

長林寺出土瓦
| 所在地 |
奈良県北葛城郡河合町穴闇 |
|---|---|
| 区分 | 遺跡|社寺跡又は旧境内 |
| 指定内容 |
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※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。
歴史文化資源の概要
推古24年に推古天皇の病気平癒を祈願して、聖徳太子が建立したと伝えられています。戦国時代に荒廃し、江戸時代に矢田の発志院の古篆和尚により禅宗黄檗流寺院として再興されました。
発掘調査により、金堂が西に、塔が東にある斑鳩の法起寺式伽藍配置の寺院であったことが確認されています。聖徳太子の時代にはわずかな建物があったと思われますが、七堂伽藍が整ったのは天武天皇が廣瀬神社を祭らせた頃と考えられています。
「長倉寺瓦」銘のある丸瓦が出土しており、所在地の「穴闇」は「長倉」の転訛と考えられます。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
聖徳太子建立の伝説もあり、地域の人々に親しまれています。
発掘調査時に出土した瓦に「長倉寺瓦」とヘラ書きされた瓦があり、所在地の地名が「長倉」から「穴闇(なぐら)」に転訛したことがわかります。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
聖徳太子、推古天皇、穴穂部間人皇女
当資源と関連する文献史料
『聖徳太子傳私記(太子傳古今目録抄)』では聖徳太子建立の46ヶ寺の内とされています。
『聖徳太子傳記』聖徳太子が45歳の時、推古天皇が病気平癒を祈願して発願され建立されたと記されています。
『太子傳玉林抄』推古天皇24年に聖徳太子が推古天皇の病気に際し誓願し、回復されたので建立したと記されています。
『和州舊跡幽考』『廣大和名勝誌』ほかも『太子傳玉林抄』の記事により聖徳太子が建立されたと記されています。
当資源と関連する伝承
推古天皇が穴暗いところだと言われたので「穴闇」という地名になりました。
聖徳太子の母親の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)が長林寺のお堂に入られた時に穴蔵のようだと言われたので「穴闇」という地名になりました。
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問い合わせ先 |
河合町 教育委員会事務局 教育部 生涯学習課 |
|---|---|
| 電話番号 |
0745-57-2271 |
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見解・学説等の相違については、ご了承ください。


