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ページ番号:23454
更新日:2026年5月1日
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万葉集
2026年5月号
はじめての万葉集 vol.144

竜田山(たつたやま) 見つつ越え来(こ)し 桜花(さくらばな) 散りか過ぎなむ わが帰るとに
大伴家持(おほとものやかもち)(巻二十・四三九五番歌)
訳 竜田山で見ながら越えて来た桜の花は、散り過ぎてしまうだろうか。私が帰るころには。
竜田山の桜
本歌は、天平勝宝七(七五五)歳二月十七日に(本年から三年は「年」ではなく「歳」が使われました)、大伴家持が竜田山の桜が散るのを一人で惜しんだことを詠んだ歌です。家持は二月初旬、兵部少輔として防人(さきもり)を迎え送る業務のために奈良から難波に出向きました。兵部省は兵政全般にかかわる役所であり、家持は九州の防備を担当する防人の管理のために難波に赴いたのです。
家持は四日前の十三日には難波津の桜が満開であることを詠んでいますが(四三六一番歌)、竜田山を越える頃に見た桜はまだ咲き始めだったのでしょう。なお、二月十三日は現代の暦では三月三十日頃に当たります。
歌の表現を見てみましょう。竜田山を越えながら見たのですから、上の句は「竜田山越え来つつ見し桜花」のほうが自然です。しかし、「越える」ことを「見る」ことと同時に行ったことを表現したいがために、「見つつ越え来し」という表現をとったものと思われます。竜田山を越えて来たということよりも、桜を見たということに力点がある表現と言えるでしょう。
第四句では、そうした桜が散ってしまうことを疑問の助詞「か」を使いながら述べています。「過ぎなむ」は動詞「過ぐ」に完了の助動詞「ぬ」と推量の助動詞「む」がついたものです。「過ぎてしまうだろうか」と、まだ起こっていないことを想像しています。
結句ではいつ桜が散ってしまうと言っているのかが明かされます。「わが帰るとに」の「とに」は「~ころに」の意味で使っているものと思われます。家持が任を果たし帰京する頃には、再び見たかった桜はもう散ってしまっているのだろうと述べているのです。本歌はそのことへの残念な気持ちを詠んだものでしょう。
実際、家持は三月三日、業務が終わったことを慰労するためか、仲間たちと宴会を催し、そこで「含(ふふ)めりし 花の初めに 来(こ)しわれや 散りなむのちに 都へ行(ゆ)かむ(つぼみとしてふくらんでいた花の、咲きはじめにやって来た私は、散ってしまった後に都へ帰るのかなあ。)」(四四三五番歌)と詠んでいます。
既に桜が散り、春の盛りを過ぎた都に家持はどんな気持ちで帰ったのでしょうか。そのことをうかがうことのできる歌は残っていません。
(本文 万葉文化館 榎戸 渉吾)
万葉文化館 イベント情報
県立万葉文化館・奈良県立美術館 連携企画展
「たびにしあれば 奈良県立万葉文化館・奈良県立美術館コレクションから」
5月16日(土曜日)~7月12日(日曜日)
異郷へと向かう「旅」をテーマに、古代における公的な義務であった旅が、中世以降、参詣や文芸、絵画などの創作を通じた個人的な営みへと変化していく過程をたどる展覧会です。
小・中学生、国内の高校生・18歳未満の人は無料。その他割引など、詳しくは当館HPをご覧ください。

「東海道往来図屏風」奈良県立美術館蔵
オープニングギャラリートーク /申込不要/要観覧券/
5月16日(土曜日)14時~
[会場]日本画展示室
[講師]平出 実乃里(当館学芸員)三浦 敬任(奈良県立美術館学芸員)
大伴旅人帰京の旅 with家持古代の旅すごろく /無料/申込不要/
5月31日(日曜日) ❶10時30分~ ❷13時30分~(各回約30分)
大宰帥(だざいのそち)の任を終えた旅人の帰京をすごろくで体験します。
[定員]各回12名 [会場]企画展示室
万葉集をよむ /無料/申込不要/
5月20日(水曜日)14時~15時30分
「雑歌(ぞうか)(2)」(巻9・1682〜1694番歌)
[講師]中本 和(当館主任研究員)
[定員]150人(先着)
※アーカイブ配信(翌日から1週間視聴可)
にぎわいフェスタ万葉 春
開催中~6月7日(日曜日)まで
詳しくは当館HPをご覧ください。
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☎︎0744-54-1850
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