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【食】奈良はお米作りの先進県だった(鎌田道隆)

中村直三 農功顕彰碑京街道と登大路が交差する県庁東の交差点の東北の芝生地に、中村直三(なかむらなおぞう)の農功顕彰碑が建っています。中村直三は現在の奈良市永原で1819年に生まれました。彼は農民として、永原村の改革に取り組み、稲の品種改良と普及につとめ、幕末には近隣の諸大名や農民から慕われ尊敬されるほどになっていたのです。のちには明治の三大老農のひとりに数えられるほど有名になった人です。

中村直三の農事改良の特徴は、総合的な視点に立ちながら、極めて計数的な処置と精密な分析を厳格に行っているところにあります。総合的な面では、たとえば米だけではなく安全作物として麦の栽培をすすめ、棉作の復興も視野にいれて、堆肥小屋を造り、池の底土・藁灰・小便などを積極的に肥やしとして貯え置いて、適時に用いるべきだなどと、著書『勧農微志』に書いています。 稲の品種改良では、直三は栽培試験をとても厳密に行っています。多くの志のある農家を頼んで、何種類もの一定量の種籾を渡して、田んぼを区画して、早稲、中稲、晩稲の種類と稲名を記した木札を立て、紙にその図面を作成して誰でもが分かるようにしています。稲の生長に合わせて木札も大きくします。そして収穫も厳密に区別し、その収穫量を検査して記録します。

実りの秋(イメージ)中村直三が第一回内国勧業博覧会(明治10年)に出品したのは稲種321種と収穫量実験表、第二回博覧会(明治13年)の出品は稲種742種・棉27品種で、有功賞牌を授けられました。直三のすばらしいところは、きわめて貧しい農民たちが、これらの良種の稲について学び、収穫が向上することを願っていたことです。直三の選別した稲種で著名なものは、伊勢錦、大和穂、榊原穂などですが、伊勢錦は農業の神様である伊勢の外宮前で、伊勢参りのついでに農民たちが種籾を交換して奈良へ持ち帰ってきたものを、栽培・普及させたものでしょう。

周防の国(今の山口県)で農業と林業の育成にがんばった田島直之という老農が、「予、先年大和国中村直三氏より稲の名伊勢錦と号す中生稲七穂を得て、年々稲穂を選り試験して名を周防穂と改む。此の稲収穫多量にして、味はひ尤も美味なり」(『山林農務母子之説』)と書いているので、直三の選別した伊勢錦も美味しかったのでしょうね。

この時代、奈良は農業先進県という評価を受けていました。直三のもとには遠く熊本や鹿児島からも農事実習生が訪れたり、奈良県・大阪府に雇われ、また自ら秋田・宮城県などの招きに応じて、農事指導に出かけたりしました。さらにすこしでも多くの農民たちに新しい品種と栽培法を伝えようと、『勧農微志』『稲種選択法』などいろいろな解説書を書き、内国勧業博覧会にも積極的に出品して、農業の振興に貢献したのですが、明治15年、コレラにかかりわずか三日後に急逝してしまいます。遺骸は天理市勾田の善福寺に葬られました。

鎌田道隆氏の顔写真/

鎌田道隆氏

1943年鹿児島県 屋久島生まれ。立命館大学で日本史を学び、京都市史編纂所で京都の歴史の調査・執筆・編纂にあたる。1980年に奈良大学教員となり、学長職6年を含め2011年まで在任。その間、江戸時代のからくり玩具の復元研究や、江戸時代の庶民にもっとも親しまれた旅、お伊勢参りの復元体験など「実験歴史学」を学生とともに実践。現在 奈良大学名誉教授、奈良町からくりおもちゃ館の名誉館長。