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ページ番号:24552

更新日:2026年7月1日

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むかしばなし

2026年7月号

奈良のむかしばなし 第91話

中将姫と松尾芭蕉

文・山崎しげ子

 奈良盆地の西、葛城市。西を望めば、二上山の緑濃い美しい山容が迫ってくる。その山麓で育った僧源信は、二上山に沈む神々しいまでの夕陽を眺め、山の向こうに西方極楽浄土があると説いた。
  * * *
 伝説の中将姫は、奈良時代、右大臣藤原豊成の娘として生まれたが、実母と死別。豊成の新しい妻は姫の美貌と才能を憎み、家臣に姫の殺害を命じた。
 だが、家臣は姫を日張山(ひばりやま)の青蓮寺(せいれんじ)に隠す。やがて父の豊成が見つけ、奈良の都に連れ戻すが、姫は當麻寺(たいまでら)で出家。蓮糸(はすいと)で一夜にして「當麻曼荼羅(まんだら)」を織ったとされるお話は有名である。また姫は、宝亀六(七七五)年、二九歳という若さで、極楽の阿弥陀如来や菩薩たちに迎えられ極楽往生(おうじょう)を遂げたとされる。
 今、當麻寺は、広大な寺域に本堂、金堂、講堂、東西の三重塔などが緑豊かな樹々の中に甍(いらか)を並べている。
  * * *
 さて、貞享元(一六八四)年、松尾芭蕉は『野ざらし紀行』の旅に出た。四一歳、わが身の行き倒れ、野ざらしも覚悟の上、俳句の新しい境地を模索する厳しい旅でもあった。
 江戸の草庵から伊勢、伊賀、大和、近江などをめぐる旅の途次、芭蕉は當麻寺に詣でた。境内に聳(そび)える松の大木。それが中将姫お手植えと伝わる松。芭蕉は「松は千年はたつと思われ、牛も隠せる大きさ」と記す。

 僧朝顔 幾死(いくしに)かへる 法(のり)の松

 寺の僧も、朝顔も、幾たびも枯れては生まれ変わる。なのに、この松は、仏の加護のお陰で枯れることなく、切られることもなく大きくなった。ああ、尊いことだ、と。
  * * *
 さて、芭蕉を感動させた松もその後、枯れた。今は大きな切り株だけが、屋根瓦も立派な覆屋(おおいや)で保護されている。
 芭蕉の「僧朝顔 幾死かへる 法の松」の句碑は塔頭(たっちゅう)、中之坊の境内にあり、中将姫と芭蕉の昔を今に伝えている。

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棚機(たなばた)神社の「七夕祭り」

 7月7日。この日、岩橋山麓の高台から大和三山を見渡す「棚機神社」で、「七夕祭り」が行われます。5世紀頃、この辺りには大陸から渡って来た人々により、当時最新の織り機「棚機」と共に、絹などの高級織物を織る技術、また、技術の向上を願う儀式が伝えられたといわれています。現在、境内には地元で「タナバタさん」と呼ばれている小さな祠と、彦星と織姫に見立てられた2本の杉が立ち、棚機神社保存会の皆さんによって大切に整備されています。
 七夕の日には、市内の児童や幼稚園児、地元の人々が願い事を書いた短冊を笹につるして奉納。色とりどりの笹が境内を美しく彩ります。
 神事は16時から。神社には駐車場がありません。暑い時期なので熱中症対策を。帰りには、道の駅で名物のソフトクリームやかき氷を味わってはいかがでしょう。

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短冊が境内を彩る七夕祭り

物語の場所、葛城市を訪れよう
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當麻寺(葛城市當麻1263)
アクセス:近鉄当麻寺駅下車 西へ約1km

棚機神社(葛城市太田小字七夕)
アクセス:葛城市コミュニティバス道の駅かつらぎ下車 北西へ約1km

問い合わせ:葛城市商工観光プロモーション課
電話:0745-44-5111