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ページ番号:24551
更新日:2026年7月1日
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大河ドラマ
2026年7月号
ドラマは奈良にある 第8回
松永久秀 戦国の大和を支配
信長と関係変転 風流人の一面も
鎌倉時代以降、大和では最大の荘園領主であった興福寺が実質的な守護職にあたっていました。戦国時代に入ると筒井氏と越智(おち)氏の支配が強まる中、頭角を現したのが公家や寺社との交渉に長けた松永久秀でした。1559(永禄2)年、三好長慶(みよしながよし)の命を受けて信貴山城(平群町)を拠点に、大和に侵攻。成功すると長慶から大和一国を与えられ、自ら築いた多聞城(奈良市)に本拠を構えました。
長慶の病死後は足利義昭(よしあき)の家臣に。織田信長と良好な関係を築きますが、義昭の処遇をめぐって二人の関係は次第に悪化します。1573(天正元)年、久秀は多聞城を差し出して一度は落ち着くものの、1577(天正5)年に再び暗雲が。久秀は信貴山城にこもり、信長の嫡男・信忠を総大将とする筒井順慶らの軍が包囲する中、自死により最期を迎えました。
多様な人に仕えながら反旗を翻した久秀ですが、風流人としての一面もありました。多聞城には茶室が造られ、千利休も訪れたとされています。戦国武将にとって茶会は人間関係構築や情報収集の一環であり、茶道具蒐集(しゅうしゅう)は富と権力の象徴でもありました。信貴山城では、愛蔵した茶釜「平蜘蛛(ひらぐも)」が信長の手に渡るのを嫌い、粉々に叩き割ると、城に火を放って自刃したという説も伝わります。1585(天正13)年の豊臣秀長の郡山城入城に向け、奈良の歴史の歯車は回っていくのでした。
問い合わせ:県地域観光課
電話:0742-27-8482
信貴山城跡
信貴山朝護孫子寺の境内に、堀、土塁、門跡などが残っています。
■住所:平群町信貴山 ■アクセス:王寺駅または信貴山下駅からバス、信貴大橋下車、徒歩約5分で朝護孫子寺へ。

「御城印」300円 ※信貴山観光iセンターで販売

多聞城跡
現在、城跡は奈良市立若草中学校となっており、敷地内に石碑が立っています。
■住所:奈良市法蓮町※校内立ち入り不可 ■アクセス:近鉄奈良駅からバスで約5分、手貝町下車、徒歩約10分

信貴山朝護孫子寺
約1400年前、聖徳太子によって創建。織田信長の攻撃を受けて焼亡しましたが、後に、豊臣秀頼によって再興。太子が寅の年の寅の日、寅の刻に現れた毘沙門天(びしゃもんてん)を感得し祀ったという言い伝えから、境内の至る所で張り子のトラを見ることができます。

■住所:平群町信貴山
■アクセス:王寺駅または信貴山下駅からバス、信貴大橋下車、徒歩約5分
■霊宝館:大人・大学生・高校生300円、中学生・小学生200円/戒壇巡り:200円
■電話:0745-72-2277
マンガ【きみとなら】第8話

マンガ:チャンキー松本
豊臣兄弟! 大和郡山 大河ドラマ館
県民無料デーを開催!
■期間:7月6日(月曜日)~12日(日曜日)
■時間:10時~17時(最終入場16時30分)
■対象:奈良県在住・在勤・在学の人
■主催:秀長さんプロジェクト推進協議会
※公共交通機関でのご来館にご協力ください。
※ご利用時の注意:ご来館の際は、住所や勤務先・通学先を確認できるものをご提示ください。
土・日は混雑が予想されます。分散してのご来館にご協力お願いします。
詳細は秀長さんプロジェクト
特設サイト(「大河ドラマ館」ページ)
URL:https://www.hidenaga-yamatokoriyama.jp/exhibition/
歴史的解釈には諸説あります。
お問い合わせ先
産業部 観光局地域観光課