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ページ番号:25677

更新日:2026年9月1日

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大河ドラマ

2026年9月号

第10回 藤堂高虎 秀長の腹心は築城名人 

 

信頼の絆が長い活躍の背景に drama01 2609

 豊臣秀長の家臣の一人に藤堂高虎がいます。近江(滋賀県)に生まれた高虎は、身長が六尺二寸(約190㎝)と大柄だったと言われ、若い頃は浅井長政らに仕えました。

 1576(天正4)年、秀長は若武者の豊かな将来性を見抜き、高虎を家臣に迎えました。その後高虎は、定かではありませんが、郡山城の設計に関わったとも言われています。直線的な石積みや転用石(てんようせき)などの特色が多い郡山城。後の和歌山城や徳川家康の京都屋敷にもつながる巧みな「縄張り(設計)」が磨かれていきました。高虎の築城術は近世城郭の典型となり、黒田官兵衛(くろだかんべえ)、加藤清正とともに「築城三名人」の一人とも言われています。

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高虎が関わったと言われる強固な石垣構造などを見ることができます。
■住所:大和郡山市城内町

「御城印」300円

  ※柳沢文庫(郡山城跡内)、大和郡山市観光協会で販売


 文化・宗教にも造詣が深く、春日大社に高虎が奉納した釣燈籠が遺されています。また、秀長が1591(天正19)年に52歳の若さで亡くなった後、秀長の菩提を弔い、秀長の菩提寺を郡山の大光院から京都・大徳寺内に移し、17回忌法要などを執り行い、主君を偲び続けたようです。関ヶ原の戦い後も、家康から異例の厚遇を受けた高虎。長く活躍した背景には、自らを取り立ててくれた秀長との深い絆があったのです。

問い合わせ:県地域観光課 電話:0742-27-8482 

 

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 1591年、郡山城内で没した秀長はここに葬られました。大光院が京都に移された後、秀長公の御位牌と大納言塚の管理は東光寺(のちの春岳院)に任されました。1777年、五輪塔が春岳院の僧らによって建立されました。
■大納言塚 住所:大和郡山市箕山町14 
■春岳院 住所:大和郡山市新中町2

 

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※歴史的解釈には諸説あります。

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逆さ地蔵 


豊臣秀長は郡山城を増築する際、石垣には周辺の寺院などから集めた石を積みました。
転用石と呼ばれるこれらの石の中には上下が逆になった「逆さ地蔵」も含まれています。

 

 

お問い合わせ先

産業部 観光局地域観光課