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更新日:2026年2月27日

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飛鳥・藤原を世界遺産に

県民だより奈良

2022年8月号

飛鳥・藤原を世界遺産に

飛鳥・藤原

藤原宮跡(橿原市):日本初の都城、藤原京の中心にある約1キロ四方の広大な宮殿跡です。
宮殿遺構のほとんどが地下に埋まっており、現在、地上に見えるのは大極殿の基壇のみとなります。

飛鳥・藤原タイトル

【vol.2】

「飛鳥・藤原」をとりまく時代

「飛鳥・藤原」の時代、およそ7世紀代の約100年間に飛鳥宮と藤原宮の2つの宮殿を中心に古代日本の国づくりが行われました。なぜ、この時代に国づくりが行われたのか。その理由を知るには当時の国際情勢を詳しく見ていく必要があります。
この時代、東アジアの政治・文化の中心であった中国は、長い混乱の時代を経て、隋(ずい)(581~618年)、唐(618~907年)により統一されました。隋や唐は皇帝を中心に国を治めるための法体系「律令」を定めて国内を統治する一方、周辺国への影響力を強めるため圧迫し始めました。
これを受けて朝鮮半島の高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)といった国々は、それぞれの国家の存亡をかけて、隋や唐の最新文化や技術を取り入れ、国力の強化を目指しました。
海を隔てた日本も例外ではなく、7世紀初めからは遣隋使や遣唐使などを派遣して国際情勢を探り、最新の文化や国づくりの方法を学んでいきました。3世紀から続けてきた前方後円墳の造営をやめ、政治と儀式の場である宮殿を中心とした都をつくり、国家鎮護のための仏教寺院を建てるなど、東アジアの標準的な首都の建設に取り組みました。「飛鳥・藤原」の構成資産はその国づくりの証拠となる遺跡群なのです。

牽牛子塚(けんごしづか)古墳
石舞台古墳(明日香村)
巨大な前方後円墳にかわって、中国・朝鮮半島にみられる方墳が有力者の墳墓に採用されました。一説には推古天皇、聖徳太子とともに改革を推進した蘇我馬子の墓とされます。

藤原宮跡
7世紀半ばの東アジア
唐と新羅により高句麗と百済は滅ぼされ、のちに新羅が朝鮮半島を統一しました。

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世界遺産ジャーナル

藤原宮跡 橿原市

694年、持統天皇は飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)から藤原宮へ遷宮しました。約1キロ四方の宮殿は、天皇の居住区のほか、政務や儀式の空間、役所などが集約されており、天皇を中心とした中央集権体制を体現していました。宮殿の周囲には約5キロ四方の都城である藤原京が広がり、官人らが居住していました。この宮殿や都城の構造は、後の平城京や平安京の原型ともなりました。
藤原京は710年に平城京へ遷都し、主要な建物も解体されて遷(うつ)されました。平城宮大極殿も藤原宮から移築したものといわれています。


藤原宮大極殿跡

  • 所 橿原市高殿町ほか
  • アクセス JR畝傍駅、近鉄耳成駅・畝傍御陵前駅より約2km
    大和八木駅より橿原市コミュニティバス「藤原京資料室」下車すぐ
  • 問 県文化資源活用課
  • 電話 0742-27-2054
  • FAX 0742-27-0213

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