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ページ番号:8387
更新日:2026年2月27日
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「かよの柿」について

管内の天理市には昔から柿産地があり、そこで育まれた「かよの柿」について紹介します。
「かよの柿」の「かよ」って?
大正時代から受け継がれる柿産地「かよ」の歴史
天理市の歴史が記載された天理市史には、明治時代から雑柿が生産されていた記録が残っています。
大正10年には、大寒波があり萱生町で果樹経営の中心であった柑橘が枯れてしまい、その代わりに柿が植えらたそうです。
当時は甘柿の富有柿が中心で栽培されていましたが、昭和30年頃から炭酸ガス脱渋が本格的に始まり、渋柿の「平核無」柿の新植が奈良県内で進んでいきました。
特に、天理市ではこの豊作で病害虫にも強い「平核無」の改植、新植が進みました。
そのような中で、昭和34年、刀根さんの柿園の「平核無」の木が、伊勢湾台風によって折れてしまいました。刀根さんはその柿に「平核無」を接ぎ木したところ、より早い時期に果実をつけるようになり、刀根さんの名前をとって「刀根早生」と名づけられました。
全国の柿の栽培面積のうち、「富有」柿に次いで2番目に栽培面積が多い品種となった「刀根早生」。「刀根早生」の原木では、今でも片方の枝には「平核無」の青い実がなる一方で、もう片方の枝では「刀根早生」の柿が色づいています。

はじまりの奈良の取材インタビュー動画も御確認ください。
また、「かよの柿」は海外への輸出にも挑戦しています。
「かよ」って何??
「かよ」は萱生町(かようちょう)のことです。
天理市萱生町(かようちょう)の地名を地域の農家が親しみを込めて「かよ」と呼んでいます。

どんなところ?
「かよ」は奈良盆地の東端の丘陵地に位置し、竜王山の扇状地帯です。大和の古道の「山の辺の道」の街道上にあります。西側の斜面で育てられる柿にはしっかりと夕日が当たり、日照時間が長いことで糖度の高い柿が生産できると言われています。
竜王山の西側の扇状地

大和の古道「山の辺の道」にあります

夕日がよく当たる柿園地

早生の渋柿「刀根早生」の発祥の地

「かよの柿」は渋柿?
- 「かよの柿」の品種は萱生町が発祥で、9月末から出荷され始める「刀根早生(とねわせ)」柿、「刀根早生」の後、10月下旬から出荷される「平核無(ひらたねなし)」柿です。
- 両品種とも渋柿ですので、収穫後脱渋(だつじゅう)という渋を抜く作業をしてから出荷されます。小売店で見られる「合わせ柿(あわせがき)」とは実は脱渋した後の渋柿です。

「かよの柿」は樹の上でしっかり色づいた果実をとり、個人宅で作られた室で脱渋をして出荷してます。生産者は、渋抜けがよく、品質の高い柿を出荷するため、脱渋時の温度や時間の条件を柿の状態や外気温等をみて、細かく調整しています。