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更新日:2026年2月27日

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奈良のむかしばなし

県民だより奈良

2021年11月号

奈良のむかしばなし
【第75話】

柳生宗矩(むねのり)とおふじの井戸

文・山崎しげ子

奈良市の東部にある剣豪の里、柳生。江戸時代、徳川将軍家の剣術指南役として柳生一族が栄え、多くの門弟たちを輩出した。
今回は、その柳生の里近くの阪原(さかはら)に伝わる、とんちのような、でもとってもハッピーなお話。

昔、昔、柳生の殿様で剣豪の柳生宗矩が、阪原の里を通られた。
と、道端の井戸で娘が洗濯をしていた。宗矩は馬を止め、その娘にいきなり問いかけた。
「これこれ娘、洗濯をしているようだが、水が揺れてできる波の数はいくつか」
「はい、波(七(な)・三(み))は、二十一波でございます」
とっさのことながら、娘はすかさず答え、殿様に問い返した。
「殿様は柳生からここまで馬で来られましたが、馬の足跡はいくつございましたか」
殿様は、ググッと答えに詰まってしまった。さすがの剣の達人も村娘に一本取られた格好。娘の名はおふじ。宗矩はおふじの器量と才知を気に入り、側室に迎えた。
そしてその子どもは、のちに柳生一族の菩提寺である芳徳寺(ほうとくじ)の初代住職列堂(れつどう)となった。

さて、その芳徳寺。一万二千石の柳生藩初代藩主となった宗矩が、父、石舟斎宗厳(せきしゅうさいむねよし)の菩提(ぼだい)を弔うため、親交のあった禅僧の沢庵和尚(たくあんおしょう)を開山に迎え創建した。境内に柳生家代々の墓八十余基がある。
有名な柳生新陰(しんかげ)流は、宗厳が創始、宗矩が確立した。戦わずして勝つという「無刀取(むとうど)り」は、剣禅一致(けんぜんいっち)を兵法の極意とし、徳川時代約二六〇年の泰平(たいへい)を支えた。

さてさて、阪原にある「おふじの井戸」。周りを緑濃い山並みに囲まれた小盆地で、井戸の前は、稲刈りを終えた田んぼがどこまでも広がっている。昔懐かしい田園風景。
澄んだ秋空に、枯れ草を焼くのか、遠くに白く細い煙が見える。
近くを通る柳生街道を東に辿り、かえりばさ峠を越えれば、もう柳生の里である。

柳生宗矩(むねのり)とおふじの井戸

おふじの井戸

柳生街道沿いの阪原地区にある古井戸。柳生藩初代藩主・柳生宗矩が阪原の里に住んでいたおふじを見初めた場所といわれている。


おふじの井戸

芳徳寺

1638年、柳生宗矩が父石舟斎宗厳の菩提を弔うため創建。本堂には、釈迦如来坐像や宗矩、沢庵和尚の像が安置されている。また、柳生藩の資料が閲覧できる史料室や、近くに柳生新陰流の精神を体感できる正木坂剣禅道場(まさきざかけんぜんどうじょう)もある。


芳徳寺

物語の場所を訪れよう

  • 「おふじの井戸」(奈良市阪原町)
    奈良交通バス阪原下車、約0.1km
  • 「芳徳寺」(奈良市柳生下町445)
    奈良交通バス柳生下車、約1km

地図

  • 問 柳生観光協会
  • 電話 0742-94-0002

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