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更新日:2026年2月27日

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ぶらり日本書紀

県民だより奈良

2020年10月号

ぶらり日本書記

【vol.15】

談山神社
鎌足と皇子が乙巳の変について密談をしたと言われる「談(かたら)い山」が社号の由来、談山(たんざん)神社(桜井市多武峰(とうのみね))

マップ

巻第二十四「皇極天皇」 乙巳(いっし)の変

聖徳太子の死後、蘇我大臣蝦夷(そがのおおおみえみし)と入鹿(いるか)親子は、甘樫丘(あまかしのおか)に邸宅を建て、その邸宅を宮門(みかど)と呼ばせるなど臣下にあるまじき振る舞いを行い、天皇が行う政治への介入を行っていきました。中臣鎌足(なかとみのかまたり)は君臣の別をわきまえない蘇我氏一族に憤っていました。そのような時、鎌足は飛鳥寺で行われた蹴鞠(けまり)の催しにおいて、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(のちの天智天皇)と出会いました。二人は意気投合し、蘇我氏を討つための相談を行いました。
645年6月、皇子と鎌足は佐伯連子麻呂(さえきのむらじこまろ)と葛城稚犬養連網田(かずらきのわかいぬかいのむらじあみた)に剣を授け、蘇我倉山田石川麻呂臣(そがのくらのやまだのいしかわまろおみ)が皇極天皇の前で上表文を読み上げている時に入鹿の不意をついて斬る作戦を立てました。しかし、子麻呂と網田は怯えて動けなかったため、見かねた皇子が入鹿を討ちました。入鹿の死を知った蝦夷は館に火を放ち、一族と共に自害してしまいました。こうして、乙巳の変のクーデターは幕を下ろしました。

甘樫丘(あまかしのおか)(明日香村豊浦)

日本書紀で、蘇我蝦夷・入鹿親子が邸宅を築いたと記されている場所です。現在一帯は国営飛鳥歴史公園に指定され、頂上には明日香村や大和三山といわれる耳成山(みみなしやま)、畝傍山(うねびやま)、香具山(かぐやま)などを一望できる展望台があります。

甘樫丘

山田寺跡(桜井市山田)

蘇我倉山田石川麻呂臣が創建したと言われる寺の跡地です。1982年に行われた発掘によって、寺の東回廊が倒れた状態で地中に埋もれているのが見つかりました。この東回廊は現在復元され、明日香村にある奈良文化財研究所飛鳥資料館に展示されています。

山田寺跡

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