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更新日:2026年2月27日

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ぶらり日本書紀

県民だより奈良

2020年4月号

ぶらり日本書紀


雷丘
雷丘、子部神社地図

巻第十四「雄略天皇」 倭王「武」雄略天皇

462年、大泊瀬幼武天皇(おおはつせわかたけるのすめらみこと)(第二十一代雄略天皇)は、妃に桑の葉を摘ませ、養蚕をすすめようと考え、臣下であるすがる(すがる)に蚕を集めるように言いました。するとすがるは誤って子どもを集め、天皇に献上しました。「蚕」と「子」が同じく「こ」と発音する語であったため、勘違いしてしまったのです。天皇は大笑いし、連れてきた子どもたちをすがる自身で養育するように言い、少子部連(ちいさこべのむらじ)という名を与えました。
また、あるとき天皇は、すがるに「私は三諸岳(みもろやま)の神の姿が見たい。お前は力が強いので捕まえてこい。」と命じます。すがるが三諸岳で大蛇を捕らえて天皇に見せたところ、その蛇は雷のような音を轟かせながら目を爛々と光らせたので、天皇は恐れてご覧にならず、蛇を丘に放させました。そして、その丘に雷(いかづち)という名を与えました。
また、『日本霊異記(にほんりょういき)』には、すがる『日本霊異記』では栖軽)が亡くなった後、雷が落ちた場所に彼の墓をつくり、「雷を捕まえた栖軽の墓」と碑を建てました。すると雷は怒ってその碑を蹴り割ろうとしたところ、柱が割けたところに足が挟まって抜けなくなりました。そして天皇は、「生きても死んでも雷を捕まえた栖軽の墓」と碑を建てなおしました。これが雷丘のはじまりといわれています。
雄略天皇は、日本国内の古墳の副葬品に刻まれていた銘文から、実在の人物であり、中国の『宋書』に記されている倭の五王の中の「武」であるとも考えられています。

子部神社(こべじんじゃ)

多坐弥志理都比古神社(おおにいますみしりつひこじんじゃ)の境外摂社。祭神は小子部命(ちいさこべのみこと)。すがるが子どもを養育した場所が飯高の付近とされており、子部の里といいました。
この子部神社から100m程西にも同名の子部神社があり、小子部命を祀っています。
子部神社

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  • 問 県文化資源活用課
    電話 0742-27-8975
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