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更新日:2026年2月27日
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宇陀松山:見どころ13〜16
【宇陀松山】趣ある宇陀松山のまち並みを歩き町家の風情を感じる
見どころ13:森田家住宅 戸袋には薬の看板

「竹田家住宅」の隣にある「森田家住宅」は、屋根の両端の形状が異なる“片側入母屋”・“つし2階”・“桟瓦葺”・“平入”の町家。1階前面の戸袋に「五龍園」の薬の看板があるのが特徴的。江戸時代後期の建築と考えられている。元の屋号を「諸木野屋」といい、薬を含めた雑貨を扱う商店だったが、明治に入ると商売をやめたと伝わっている。主屋の背面には離れ座敷が付いている。

見どころ14:旧福田医院 大正時代に建てられた洋館

「森田家住宅」がある角を左に曲がり、下町通りを北に進む。すると、和風の町家ばかりが続いていた松山地区で、これまで見かけなかった洋館が見つかる。こちらは「旧福田医院」。大正14年(1925年)頃に建立された洋館だ。福田家は3代に渡って内科・小児科の開業医をしており、この建物を医院として昭和2年(1927年)から56年(1981年)頃まで利用していた。現在は、洋館の1階部分は医院に利用し、洋館2階と接続する居住部分は和風のつくりになっている。診察室は大壁づくりで、天井は折上げ天井。敷地には蔵や離れなどもある。

見どころ15:植田家住宅 スリアゲ戸の溝痕跡が残る
「旧福田医院」をそのまま北に。次にある交差点を左に曲がると、「植田家住宅」が。こちらは屋号を「鍵屋」といい、油を扱っていたこともあって通称「あぶらや」とも呼ばれた。建物の様相から江戸時代末期の建築と見られる、中規模で典型的な町家だ。敷地は間口7間強(約13メートル)と広く、そのうち東3間(約5.5メートル)は敷地を購入して増築したもの。主屋の表のすべての柱間にスリアゲ戸の溝痕跡があり、表構えはすべての間口がスリアゲ戸だった。

見どころ16:松山西口関門(黒門) 「黒門」の愛称で親しまれる城下町の出入口


「旧福田医院」からそのまま道なりに進んで行くと、「松山西口関門」の裏手にたどり着く。福島掃部孝治が城下町への出入口として、今から400年前に建築したものだ。昭和6年(1931年)に国の史跡として指定された。壁以外は黒く塗られていることから、地元では黒門と呼ばれて親しまれている。

