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ページ番号:17240
更新日:2026年2月27日
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宇陀松山:コラム「日本唯一の私営薬園「森野旧薬園」宇陀松山は薬のまち」
歩くまえに知っておきたい宇陀松山にまつわる物語
日本唯一の私営薬園「森野旧薬園」宇陀松山は薬のまち
「森野旧薬園」のはじまりは、江戸時代中期。当時の森野家当主・森野通貞によって開園された。通貞は若い頃より薬草木を愛好し、自宅の敷地内で栽培・研究をしていた。そのことが、漢方薬の自給自足と農事振興の施策をとる当時の幕府の目に止まり、通貞は幕府の採薬使であった植平左平次とともに近畿一円、美濃、北陸地方の山野からも薬草を採取、幕府に献上した。その報賞として幕府より得た貴重な薬草を自家の薬園に植えたのが、「森野薬園」のおこりである。明治以降は海外からの新薬が日本に入るようになり、国内の薬園は次々と廃園となったが、「森野薬園」は江戸時代の面影をそのまま残す希少な薬園であることから、大正15年(1926年)に国の文化財史跡に指定された。現在も「森野旧薬園」では、250種類以上の薬草木を見ることができる。

「森野旧薬園」では、約600平方メートルの山肌に多数の薬草木が生育しており、来園者の目を楽しませている。春はカタクリ、夏はオニユリ、秋はサフラン、冬はフクジュソウなどが美しい。歩道もしっかりと整備さているので、「これも薬草?」とじっくり学びつつ歩くことができる。

江戸時代の末頃、宇陀松山地区には1000軒の家があり、その中でも薬を取り扱う家が一番多かったという。記録では、日本で作られた生薬を取り扱う和薬店が12軒、薬用酒を取り扱う薬酒店が12軒、薬剤を調合する合薬店が23軒もあった。「森野薬園」があることも含め、松山が薬のまちとして知られる理由はここに見られる。