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ページ番号:17239
更新日:2026年2月27日
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宇陀松山:コラム「宇陀松山地区の町家の特徴と、まちのおこり」
歩くまえに知っておきたい宇陀松山にまつわる物語
宇陀松山地区の町家の特徴と、まちのおこり
町家は通常、「鰻の寝床」と例えられるように「間口が狭くて、奥行きが広い」場合が多い。しかし宇陀松山地区では、「間口も奥行きもどちらも広い」という町家がほとんど。これは、まちをつくる際に、近隣の大きなまちから有力な商人を集め、税金の免除も実施していたから。間口が広いという特徴により、通常の出入り口のほかに「座敷玄関」と呼ばれる出入り口が設置されている家もある。また、格子戸の種類が多いのも、この地域の町家が持つ特徴。太格子、親子格子、切子格子、千本格子など、格子に使われる角材の加工はさまざま。一軒一軒、これらの特徴を確認しながら歩くと、町家歩きは一層楽しくなる。


まちの中心部を示す松山道路元標。
宇陀松山は、戦国時代に「宇陀三将」と称された秋山氏の本拠地・秋山城(宇陀松山城)の城下町としてはじまった。当時は「阿貴町」と呼ばれていたが、天正13年(1585年)に秋山氏が追放された後、豊臣家配下の大名によって、城の大改修と城下町の拡大整備が行われ、まちの名前も「松山町」となった。現在の宇陀松山地区は、その当時の「松山町」が基礎となっている。
「阿貴町」から「松山町」へとまちの拡大整備がされた際、近隣のまちから有力な商人たちも誘致された。当時、間口の広さによって課せられる税金が決まっていたが、この税を免除するなどして誘致を進めたことで、「間口も奥行きも広い」というこの地区ならではの町家が生まれたという。
宇陀松山地区の町家には、さまざまな形の格子戸が見られる。太い角材と細い角材とが交互に並ぶものを「親子格子」、角材が徐々に細くなり、さらに上部を切っているものを「切子格子」、細い角材がたくさん並ぶ「千本格子」など。たくさんの米やお金が保管されていた酒蔵には、「酒屋格子」という非常に頑丈な格子戸が使われていた。