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ページ番号:10391
更新日:2026年2月27日
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はじめての万葉集
県民だより奈良
2023年7月号

【vol.111】
東(ひむがし)の市(いち)の植木(うゑき)の木足(こだ)るまで
逢はず久(ひさ)しみうべ恋ひにけり
門部王(かどべのおおきみ) 巻三(三一〇番歌)
訳 東の市に植えた木がうっそうと葉を繁らせるまで長いこと逢わず、まことに恋しいことだなあ。
東の市の樹
この歌は奈良時代の官人、門部王が東の市の樹を詠んで作った歌です。題詞には「後に、姓大原真人(かばねおほはらのまひと)の氏を賜へり」との注も付されています。ややこしいことに、同時代に「門部王」という同名の人物が二人存在しているのですが、『万葉集』に載る門部王はすべて後に「大原真人」を賜ったほうの門部王であると指摘されています。門部王は七三四年に朱雀門での歌垣(うたがき)の頭を務めるなど風流な人物として知られます。今回の歌はそれより早い時期の作ですが、歌に優れた人として東の市の樹という題で創作・披露したとも考えられます。
東の市は平城京の左京八条に位置し、右京八条には西の市が設けられていました。とりわけ東の市の周辺から多数の貨幣が出土し、にぎわっていたことがうかがえます。西の市についても『万葉集』に一首、「西の市にただ独り出(い)でて眼並べず買ひにし絹の商(あき)じこりかも」(西の市に一人で行って、見くらべもせず買ってしまった絹の、買いそこないよ。/巻七・一二六四番歌)という面白い歌があります。これは早まって結婚してしまったことを喩(たと)えているとも言われます。ただ、これは「古歌集」にあった歌と注されており、藤原京の西の市という説もあります。
今回の歌で詠まれた木の種類は不明ですが、市には目印になる木が植えられていたようです。それが「木足る」、すなわち生育して枝葉が茂るほど長い間、逢えず恋しい、という歌です。
門部王は七一九年伊勢守(いせのかみ)に任ぜられました(『続日本紀』)。その後出雲守(いずものかみ)になったようで、『万葉集』の出雲守門部王が京を思う歌(巻三・三七一番歌)では「わが佐保河」を歌っています。これらの歌などから、左京(平城京の東側)に邸宅があったかという指摘もあります。この歌の背景には京を離れ、恋しく思う期間があったことが関係しているのかもしれません。
(本文 万葉文化館 阪口由佳)


平城京西市船着場跡
西市は、東市とともに平城京の官営市場でした。近鉄九条駅の東側一帯にあったとされ、その広さは実に6万平方メートルもあったと考えられています。
西市に隣接して秋篠川が整備され、船着場が設置されました。船着場は大和川経由で大阪難波と結ばれており、食料品や日用品などあらゆる物資が川を上がって平城京まで運ばれていたとされています。

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