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ページ番号:14973

更新日:2026年2月27日

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「馬見」の地名

うまみ

記入年月日 2017年3月22日

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所在地

奈良県北葛城郡広陵町馬見北・中・南、寺戸、疋相、平尾、安部、大塚

区分 歴史的景観|棚田・里山など
指定内容

 

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要

聖徳太子が法隆寺を建立する時、大和川の北の工事場へ通う際に、飛鳥から馬に乗り、四方の景色(国原)を眺めながら通ったので、馬見と名が付いたといわれています。

地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由

馬見の地名によって、この地域で馬の放牧が行われていたことがわかる。

当資源と関連する文献史料

『大和馬見町史』(1955年)には次の記述があります。「馬見町の伝説では、聖徳太子が法隆寺をお建てになる時、大和川の北に工事場があって、そこへお通いになる時、馬に乗って、四方の景色を見ながらお通りになったので、馬見という地名が起こったという説明があるが、これは馬見という文字を用いるようになってから思いついた、地名の解釈によくあるいわゆる地名伝説というもので、学問的には必ずしも信じえるものではない。」

当資源と関連する伝承

『大和馬見町史』(1955年)には次の記述があります。「馬見の里は昔真美の里と称し今でも山桜が多い。上牧下牧は牧場であった。そして馬見の里は馬場先であった。聖徳太子が馬上から付近の景色を眺められて真に美しい里だと御賞讃されたので、それから真美ヶ丘というのだといわれている。高田川の上下に馬渡し橋がある。上は六道山、下は笠にある。古寺へ越す橋を馬渡し橋(下の橋)という。その間を馬場崎という。今の農業協同組合のある辺りは馬場先に当たるところである。真美ヶ丘の愛称が後に馬見の字が用いられたという。馬見丘陵は緑の草原がつづいて上代には朝廷の牧場になり、放牧の馬を見たので馬見ヶ丘といったという説がある。ここにある牧野の墓はバクヤ塚といい平城天皇大皇太后を葬ったと伝え、バクヤは牧野で近くに上牧下牧があり馬をみることがとくに多い地方であった。うまみの文字が今日まで伝わったのは馬がこの土地と人に何よりも親しまれたためであろう。」

 

問い合わせ先

広陵町 教育委員会事務局 文化財保存課

電話番号

0745-55-1001

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