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ページ番号:17220
更新日:2026年2月27日
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五條新町:コラム「幻となった五新鉄道」
歩くまえに知っておきたい五條新町にまつわる物語
幻となった五新鉄道
明治時代の末頃、五條市から十津川村を経由し、和歌山県新宮市までを結ぶ「五新鉄道」の計画が持ち上がった。このルートの沿線は吉野杉をはじめとした木材の産地で、それらを鉄道を使って輸送する予定だった。工事は昭和12年(1937年)に開始され、吉野川を横断する橋の橋脚部分や、生子トンネルの貫通にまで至ったが、太平洋戦争がはじまり、物資不足等の理由でやむなく工事は中断される。戦後、工事は再開され、昭和34年(1959年)には五條と西吉野村城戸までの路盤工事が完了。五條・城戸間では軌道の設置を残すのみだったが、経済や社会情勢等の変化により、五新鉄道は実現することなく完全な中止が決定された。

計画は、現在のJR西日本・和歌山線の五条駅と、紀州本線の新宮駅とを結ぶものだった。「五新鉄道」の名は、五条と新宮から。結果的に工事は中断され、「五新鉄道」の実現は夢と消えたが、跡地は路線バス専用道や大学の研究施設として活躍している。

工事中断決定後、不要となった橋脚部分を爆破して処理する機会があった。その際、破壊されたコンクリートからは、鉄骨とあわせて青々とした竹が出てきたという。物資不足だった戦時中の工事中断直前は、貴重な鉄を節約し、竹による骨組みを用いて工事を進めていたのではないかと考えられている。