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ページ番号:15078
更新日:2026年2月27日
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深掘り!歴史文化資源
歴史文化資源の成立の背景や、それを取り巻く時代の移り変わり、それぞれの時代を生きた人々の営みにまつわるたくさんの物語・・・、これらとともに各地域自慢の歴史文化資源に触れることができれば、きっとその魅力を何倍にも感じることができるでしょう。
ここでは、奈良県の歴史文化資源の魅力を倍増させる選りすぐった解説やエピソードとともに歴史文化資源をご紹介します。
もっと知りたい。もっと深めたい。ほんものの歴史に近づく入口がここにあります。
奈良の歴史と仏教は、切っても切れない関係にあります。仏教は、1.伝来、2.受容をめぐる争い、3.豪族による崇拝、4.国家による導入、5.民間への広がり、とさまざまな変遷を経ましたが、これらの仏教に関する重大な出来事は奈良を舞台に繰り広げられました。また、奈良には、南都七大寺(東大寺、西大寺、法隆寺、薬師寺、大安寺、元興寺、興福寺)をはじめとする寺院や関連の歴史文化資源など、仏教にまつわる文化資源も豊富です。さらに、空海が奈良時代の密教をきっかけとして新仏教を切り開くなど、奈良仏教はその後の仏教の展開に大きな影響を与えました。奈良の歴史は仏教なしでは語れない、と言っても過言ではないでしょう。
奈良県の古社には、ヤマト王権が発生する前から奈良盆地に根を張り、生活してきた氏族に由来するものが多く見られます。大神神社の三輪氏、石上神宮の物部氏、葛城山の裾野の葛城氏や鴨氏などです。それら氏族が祀ってきた神々は、ヤマト王権成立後に王権所縁の神々に習合されていきました。こうして、王権所縁の神々とともに、それぞれの地域、氏族の神々が「古事記」「日本書紀」に登場することになったのです。
壬申の乱は、天智天皇の死後、皇位継承をめぐって弟である大海人皇子と息子である大友皇子により、今の奈良県だけではなく、三重県、岐阜県、滋賀県などの広域を舞台に展開された古代史上最大の戦乱です。名称の由来は、乱が起きた672年が干支で壬申にあたることによります。壬申の乱終結後、大海人皇子(天武天皇)・鸕野讃良皇女(持統天皇)により天皇を中心とした国家体制が築かれました。
明治4年(1871年)の廃藩置県から16年後の明治20年(1887年)、大阪府から独立する形で奈良県が再設置され、近代化が始まります。奈良公園が整備され、その周辺には省庁を中心に西洋の様式をとり入れた近代建築物が多数建てられました。また、人や物資(木材など)を輸送するため、近代化の象徴である鉄道も整備されました。これらの建築物や鉄道は、近代遺産として、現在にその名残をとどめているものも多く見られます。ぜひ、奈良の近代遺産を訪れ、神社仏閣とは違った奈良の一面を感じてみてください。
幕末から明治の初め、写真技術が西洋から入り、開港場の長崎や横浜などを中心に、写真師という職業が生まれました。最初は、フェリーチェベアトなど外国人が写真館を開き、外国人相手に、当時の日本の観光写真や風俗写真を撮りました。彼らが、最初に日本人に写真術を教えたため日本全国に、多くの写真家が生まれました。その中で、明治から昭和にかけて、奈良に在住し奈良の文化財の記録や紹介、保護に貢献した3人の写真家を紹介します。
西国三十三所の巡礼は長谷寺の徳道上人が養老2年(718)に始めたと伝わっています。2018年は西国三十三霊場が開かれてちょうど1300年の年でした。この西国巡礼は日本最古の巡礼で、奈良、京都、兵庫、和歌山、岐阜など2府5県に点在する33の寺院、「札所」にお参りし観音様を供養するものです。巡礼札所が三十三所であるのは、どちらも観世音菩薩をご本尊とする寺であり、観世音菩薩は現世の衆生を救うために33の姿に変化される仏様であることに由来します。











