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歴史を感じながら奥大和をめぐる

更新日:2026年10月29日

歴史を感じながら奥大和をめぐる

 

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歴史的な町並みバナー

商いでにぎわった宿場町、城下町や陣屋町、大峰山を目指す行者たちを迎えた温泉街。奥大和には、歴史を感じられる町並みが今も残っています。 格子戸や白壁の続く道をゆっくり歩けば、そこに流れてきた時間がふと立ちあがります。

 

五條新町

五條新町(五條市)
かつて代官所があった政治経済の中心地「五條」。
紀州街道の宿場町として発展した「新町」。

 御霊神社とその前面にあった小広場を中心に町屋場が形成された、中世を起源とする「五條」と、慶長13年(1608)に松倉重政が二見城の城下町として成立した「新町」の2つの地区からなる町並みです。五條は5つの街道が交差する場所として、古くから交通の要衝であり、また、寛永年間(1630年代)に伝馬所、寛政7年(1795)に代官所が設置されていたことから、南和地域の政治経済の中心地でした。一方、新町は新町通りが紀州街道(伊勢街道)の一部であったことから、商人の町・宿場町として発展しました。こうした近世の発展によって五條新町は約400 年にもわたる歴史的な町並みを形成し、平成22年(2010)に国の重要伝統的建造物群保存地区へ選定されました。異なる成立起源をもつ五條と新町のまち(町割りや建物)の見え方の違いにも注目です。

 

御所町

御所まち(御所市)
江戸時代の検地絵図が今でも使えるほど
町の形がよく残る陣屋町。

 江戸時代初期に形成された陣屋町。その後も奈良中南部の商業の中心地として栄えました。葛城川をはさんで、環濠集落から発展した商業都市の西御所と、寺内町として成立した東御所の2つの町で形成されています。碁盤の目状の町割りは江戸期の検地絵図が今も使えるほどよく残り、家々の間を流れる水路(背割り下水)や虫籠窓の町家に往時の面影が息づいています。

 

土佐街道

土佐街道(高取町)
日本三大山城の一つ、高取城と
城下町・薬の町として栄えた高取。

 高取藩2万5千石の城下町として栄えた高取町のメインストリート。街道名は、飛鳥時代に都造りへ徴用された土佐(高知)の人々が帰郷できず、この地に住み着いたことに由来すると伝わります。かつては500軒もの商家が軒を連ねたといい、低い軒先や連子窓といった古い家並みが今も残ります。石畳には薬の町らしく9種の薬草を描いたタイルが埋め込まれています。

 

宇陀松山城

宇陀松山(宇陀市)
大和国支配の東の要となった山城と、
江戸から昭和初期の面影が残る薬の町。

 中世から江戸時代初期に宇陀松山城の城下町として栄え、大坂と伊勢を結ぶ交通の要衝でもあったことから、江戸時代には商家町へと発展していきました。平成18年(2006)に重要伝統的建造物保存地区と選定され、江戸から昭和前期に建てられた町家や土蔵、寺社、石垣や水路が一体となって歴史的風致を伝えます。宇陀松山は「薬の町」としても知られ、日本最古の薬草園「森野旧薬園」や元薬問屋の建物など、現在も薬の町としての面影が残っています。

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近代建築バナー

明治の吉野林業を伝えるモダン建築、材木と花見客を運んだ歴史ある鉄道橋、町の郵便を担った小さな局舎。れんが造りや洋風意匠に込められた当時の心意気や近代から現代へと急速に移り変わった時代の変化を、間近で確かめてみてください。

近代建築-1黒滝旧庁舎

旧黒滝村役場庁舎(黒滝村)
林業の村のシンボル、木造の洋風庁舎。

 明治43年(1910)に吉野材木黒滝郷同業組合の事務所として建てられた洋風木造建築。大正2年(1913)から昭和53年(1978)に役場庁舎が新築開庁するまで60年以上にわたり黒滝村役場として使われ、昭和54年(1979)、奈良県指定有形文化財に指定され、平成7年(1995)に黒滝・森物語村へ移築・修復されました。現在、建物の2階は民俗資料館となっており、黒滝村の歴史や文化を紹介する展示や奈良県指定文化財の樽丸製作用具等を展示し、黒滝村の歴史を伝えるシンボル的な存在となっています。

 

近代建築-2薬水拱橋

奈良県景観資産(旧吉野鉄道の薬水拱橋)より

旧吉野鉄道の薬水拱橋(大淀町)
「メガネ橋」で親しまれる、煉瓦積みの鉄道橋。

 大正元年(1912)、旧吉野鉄道(現・近鉄吉野線)の鉄道橋として建設された煉瓦積みの2連アーチ橋。旧吉野鉄道は吉野林業地域の木材の輸送と観桜客の足として吉野駅(現・六田駅)と国鉄吉野口駅の間に開通しました。現在も近鉄吉野線の列車が走り、「メガネ橋」として地元の人に愛されています。門を思わせるアーチ側面には扁額や煉瓦の格子帯が施され、公益社団法人土木学会にその価値が認められて、土木学会選奨土木遺産にも認定されています。

 

郵便名柄館

郵便名柄館(Tegami cafe)(御所市)
大正の郵便局舎で、手紙をしたためるひとときを。

 葛城古道沿いの御所市名柄に建つ、大正2年(1913)落成の旧名柄郵便局舎。木造平屋建て寄棟屋根の擬洋風建築で、昭和50年(1975)の移転で役目を終えるまでこの地で郵便を担いました。40 年ほど空き家となっていましたが、平成27年(2015)に郵便資料館とカフェを併設する施設として生まれ変わりました。古い郵便物や絵はがき、人車などの資料を眺めながら、手紙をしたためるひとときを過ごせます。

 

十津川瀞ホテル

瀞ホテル(十津川村)
エメラルドグリーンの峡谷に佇む、かつての筏師の宿。

 国の特別名勝・天然記念物「瀞八丁」を見下ろす断崖に建つ木造の多層建築(本館は奈良県指定文化財)。大正6年(1917)に木材を運ぶ筏師の宿「あづまや」として創業し、昭和初期に旅館「瀞ホテル」となりました。平成16年(2004)に一度閉館しましたが、平成25年(2013)に4代目が食堂・喫茶として営業を再開。現在は食堂・喫茶のほか雑貨販売やアクティビティなどを行っています。瀞峡の絶景と100年以上の歴史を持つレトロな雰囲気が魅力です。

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神社バナー

山の恵みと水の流れに生かされてきた奥大和には、記紀の神話や雨乞いの祈りにさかのぼる古社が点在します。杉木立に包まれた参道、峰の上にたたずむ社。人と自然を繋いできた祈りのかたちが、今も静かに受け継がれています。 

葛城古道

画像提供:Facebook御所ガール

葛城一言主神社(御所市)
一言だけ願いを叶えてくれる、「いちごんさん」。

 一言主大神と幼武尊(雄略天皇)を祀る、全国各地の一言主神社の総本社。『古事記』によれば、第21代雄略天皇が葛城山で狩りをした際、天皇と同じ姿で顕現し、現れたのが一言主大神であることを知った天皇は、大御刀・弓矢・百官の衣服を奉献した、と伝わります。善事も悪事も一言で言い放つ神とされ、どんな願いも一言なら叶えてくれる「一言さん」として親しまれ、全国各地からの信仰を集めています。境内には樹齢1200年と伝わる大イチョウがそびえ、松尾芭蕉の句碑などもあります。

 

丹生川上神社上社

丹生川上神社上社(川上村)
大滝ダムを眼下に見下ろす、「天空の社」。

 白鳳4年(675)、吉野の丹生川上に宮柱を立てよとの神宣により創建されたと伝わる古社です。水と雨を司る高龗大神を祀り、祈雨・止雨の神として、室町時代に至るまで数十回の奉幣祈願がなされ、朝廷・国家また人々より篤い崇敬を受けました。平安中期以降は、朝廷における最高格の社格となる二十二社の一つに数えられましたが、応仁の乱(1467)の後は奉幣も途絶えて衰微し、社地の所在も不詳となりました。現在の境内は、大滝ダムの建設に伴い平成10年(1998)に遷座した地にあり、大滝ダムを眼下に見下ろす天空の社となっています。

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古寺バナー

飛鳥の地に建った日本最初の本格寺院から、修験道の総本山、山麓の水行道場、女人を迎え入れた女人高野まで。奥大和の寺は、それぞれの時代の祈りを今に伝えています。堂塔を仰ぎ、静けさのなかで手を合わせてみてください。

 寺-1金峯山寺

金峯山寺(吉野町)
桜の木に刻んだ、蔵王権現への祈り。

 修験道の根本道場、金峯山修験本宗の総本山として全国の修験者・山伏が集う修験道の中心寺院。白鳳時代、役行者が金峯山の山頂にあたる山上ヶ岳で一千日間の参籠修行した結果、金剛蔵王大権現を感得し、その姿を桜の木に刻んで祀ったのが始まりと伝わります。国宝の本堂・蔵王堂は天正20年(1592)の再建で高さ約34m、木造古建築としては、東大寺大仏殿に次ぐ大きさを誇り、秘仏のご本尊金剛蔵王大権現の尊像3体を安置します。国宝の仁王門や重要文化財の銅の鳥居(かねのとりい)とともに、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の中核をなす霊場です。

 

寺-3明日香05 飛鳥寺

飛鳥寺(明日香村)
日本初の本格寺院で、日本最古の仏像に出会う。

 推古天皇4年(596)、蘇我馬子の発願により完成した、日本初の本格的な伽藍を備えた寺院。三金堂が五重塔を囲む大寺で、東アジア(百済)から渡来した当時の最新技術によって造営され、日本初の瓦葺き建築でもあります。本尊の銅造釈迦如来坐像は飛鳥時代の作で日本最古の仏像で、飛鳥大仏の名で親しまれています。創建当時の建物はすでに焼失しているものの、飛鳥大仏が座する位置は、創建当時から変わっていません。今も静かに参拝者を迎えています。

 

壺阪寺

壷阪寺(南法華寺)(高取町)
眼病に霊験あらたかな観音さまと、
インドから贈られた観音石像。

 大宝3年(703)、元興寺の僧・弁基上人が壷阪の山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音の姿を刻んで祀ったのが始まりと伝わります。西国三十三所第六番札所で、本尊の十一面千手観音は眼病に霊験あらたかと信仰を集めてきました。国指定重要文化財の三重塔や礼堂、インドから贈られた高さ20mの大観音石像も見どころです。

 

室生寺

室生寺(宇陀市)
室生の山奥に佇む、女人高野。

 天武天皇の勅願により、修験道の祖である役行者がこの地に初めて寺を建立したと伝えられています。奈良時代末、山部親王(のちの桓武天皇)の病気平癒を願った祈祷をきっかけに、興福寺の僧・賢璟が勅命を受け、弟子の修圓が堂塔伽藍を建立し、後に空海の弟子で修圓とも親交の深い真泰が真言密教を携えて入山し、灌頂堂や御影堂等が整えられました。女人禁制の高野山に対し女性の参詣を許したことから「女人高野」と呼ばれます。春のシャクナゲや秋の紅葉の名所としても親しまれ、四季折々に見せる景観が訪れる人を迎えます。

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奥大和の歴史体験一覧

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※古墳時代・飛鳥時代ページと【世界遺産】紀伊山地の霊場と参詣道ページは現在準備中です。

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