
エリアからさがす


宇陀松山城跡
標高約473mの山頂に築かれた山城跡。南北朝期から宇陀に勢力をもつ秋山氏の本城「秋山城」に始まり、天正13年(1585)に豊臣政権下の大名の居城となりました。東国に睨みをきかす絶好の場所にあり、大和郡山城・高取城とともに豊臣政権下における大和国支配の要をなしていました。遺構からは天守閣の存在も明らかになっています。関ヶ原の戦いの後、福島高晴が城主となると「松山城」と改名され、城下町が整えられました。しかし大坂夏の陣で高晴が豊臣方と通じていた疑いで改易(武士の身分を剥奪し領地を没収する処分)となったため、元和元年(1615)に城は破却となりました。現在では部分的に石垣が残る程度ですが、中世から近世にかけての城郭として重要であるとして国史跡に指定されています。
住所:宇陀市大宇陀拾生
アクセス:
名阪国道・針ICより国道369号・国道370号・国道166号経由で、道の駅宇陀路大宇陀の駐車場まで約30分
近鉄榛原駅から奈良交通バス約20分「大宇陀」下車、春日門跡から徒歩約20分

宇陀松山
中世から江戸時代初期に宇陀松山城の城下町として栄え、大坂と伊勢を結ぶ交通の要衝でもあったことから、江戸時代には商家町へと発展していきました。平成18年(2006)に重要伝統的建造物保存地区と選定され、江戸から昭和前期に建てられた町家や土蔵、寺社、石垣や水路が一体となって歴史的風致を伝えます。宇陀松山は「薬の町」としても知られ、日本最古の薬草園「森野旧薬園」や元薬問屋の建物など、現在も薬の町としての面影が残っています。
住所:宇陀市大宇陀拾生 ほか
アクセス:
名阪国道・針ICより国道369号経由で約30分
近鉄榛原駅から奈良交通バス約20分「大宇陀」下車、徒歩5分

又兵衛桜
大宇陀西部の本郷に立つ樹齢300年ともいわれる枝垂れ桜。高さ13m、幹周り3mを超える巨木で、滝のように花が流れ落ちる姿から「本郷の瀧桜」とも呼ばれます。この地には黒田官兵衛・長政父子や豊臣家に仕え大坂の陣で討ち死にしたとされる戦国武将・後藤又兵衛が実は落ちのび僧として生涯を終えたという伝説が残っています。桜がある場所が後藤家の屋敷跡とされていることから、この桜は「又兵衛桜」の名で親しまれ、春には多くの花見客が訪れます。
住所:宇陀市大宇陀本郷
アクセス:
名阪国道・針ICより国道369号経由で約30分
近鉄榛原駅から奈良交通バス「大宇陀」行乗車(約20分)終点下車、徒歩20分

宇陀市歴史文化館「薬の館」
江戸時代末期の建築とされる薬問屋を商っていた細川家住宅を改修した歴史文化館です。薬の町として栄えた宇陀松山の歩みを伝え、細川家や藤沢薬品工業に関する資料、薬にまつわる貴重な看板などを展示します。旧藤沢薬品工業東京支店に掲げられていた鍾馗の大看板は必見。宇陀松山重要伝統的建造物群保存地区の町並み散策とあわせて訪れたい施設です。
住所:宇陀市大宇陀上2003
アクセス:
名阪国道・針ICより国道369号経由で約30分
近鉄榛原駅から奈良交通バス約20分「大宇陀高校前」下車、徒歩約10分



御所まち
江戸時代初期に形成された陣屋町。その後も奈良中南部の商業の中心地として栄えました。葛城川をはさんで、環濠集落から発展した商業都市の西御所と、寺内町として成立した東御所の2つの町で形成されています。碁盤の目状の町割りは江戸期の検地絵図が今も使えるほどよく残り、家々の間を流れる水路(背割り下水)や虫籠窓の町家に往時の面影が息づいています。
住所:御所市1番地の3(ごせまちセンターの住所)
アクセス:
京奈和自動車道・御所ICより県道116号経由で約5分
近鉄御所駅・JR御所駅から徒歩約5分

高取城跡
標高583mの高取山頂に築かれ、城内周囲は約3km、郭内周囲は約30kmにも及ぶ山城。備中松山城・美濃岩村城と並ぶ日本三大山城の一つです。麓から天守台までの高低差は、実に390mと日本三大山城の中でも最も高く、難攻不落の城でした。元弘2年(1332)に南朝方に属した越智邦澄が築き、天正12年(1584)、筒井順慶によって郡山城の詰城として再建されたのち、天正13年(1585)期に豊臣秀長の家臣であった本多利久が天守を備えた近世城郭へと整備・拡張を行いました。その後、寛永17年(1640)に入城した植村家が明治4年(1871)に廃藩置県が布かれるまで14代にわたり治めました。現在は緑に覆われ、石垣を留めるのみの姿ながら、本丸・二の丸跡の立派な石垣が往時の壮大さを伝えます。
住所:高市郡高取町大字高取・上子島
アクセス:
南阪奈道路・葛城ICより国道169号・県道119号経由で約40分
近鉄壺阪山駅から徒歩約2時間 ※八幡口登城口から本丸までは徒歩約15〜20分だが登城口に駐車場はなし

土佐街道
高取藩2万5千石の城下町として栄えた高取町のメインストリート。街道名は、飛鳥時代に都造りへ徴用された土佐(高知)の人々が帰郷できず、この地に住み着いたことに由来すると伝わります。かつては500軒もの商家が軒を連ねたといい、低い軒先や連子窓といった古い家並みが今も残ります。石畳には薬の町らしく9種の薬草を描いたタイルが埋め込まれています。
住所:高市郡高取町上土佐・下土佐
アクセス:
南阪奈道路・葛城ICより京奈和自動車道経由で約25分
近鉄壺阪山駅から徒歩約3分



五條新町
御霊神社とその前面にあった小広場を中心に町屋場が形成された、中世を起源とする「五條」と、慶長13年(1608)に松倉重政が二見城の城下町として成立した「新町」の2つの地区からなる町並みです。五條は5つの街道が交差する場所として、古くから交通の要衝であり、また、寛永年間(1630年代)に伝馬所、寛政7年(1795)に代官所が設置されていたことから、南和地域の政治経済の中心地でした。一方、新町は新町通りが紀州街道(伊勢街道)の一部であったことから、商人の町・宿場町として発展しました。こうした近世の発展によって五條新町は約400 年にもわたる歴史的な町並みを形成し、平成22年(2010)に国の重要伝統的建造物群保存地区へ選定されました。異なる成立起源をもつ五條と新町のまち(町割りや建物)の見え方の違いにも注目です。
住所:五條市本町2丁目・新町1丁目・新町2丁目ほか
アクセス:
南阪奈道路・葛城ICより京奈和自動車道経由で約30分
JR五条駅から徒歩約10分

賀名生皇居跡
延元元年(1336)、足利尊氏に京を追われ吉野へ向かう後醍醐天皇を手厚くもてなした郷士・堀孫太郎信増の邸宅跡。その後は後村上、長慶、後亀山の三天皇の皇居(行宮)として南朝の歴史を刻みました。堀家住宅は門、主屋共に室町時代創建の茅葺の建物で、国の重要文化財に指定されています。屋敷の前に建つ冠木門には天誅組総裁の吉村寅太郎の筆による扁額が掲げられています。梅林を背にした静かなたたずまいは遠く都を離れた天皇の哀史を今も伝えています。
住所:五條市西吉野町賀名生
アクセス:
南阪奈道路・葛城ICより京奈和自動車道経由で約40分
JR五条駅から奈良交通バス「賀名生和田北口」下車徒歩5分

賀名生の里歴史民俗資料館
南朝ゆかりの地・賀名生に建つ資料館です。賀名生皇居跡と伝わる堀家に代々受け継がれてきた南朝ゆかりの宝物を中心に展示し、映像シアターでは賀名生と南朝との関わりを分かりやすく解説しています。西吉野の暮らしを伝える民俗資料も数多く並び、山里に生きた人びとの知恵や技術、くらしのかたちに触れられる施設です。
住所:五條市西吉野町賀名生5
アクセス:
南阪奈道路・葛城ICより県道30号・国道310号・国道168号経由で約40分
JR五条駅から奈良交通バス「賀名生和田北口」下車徒歩5分



金峯神社・義経隠れ塔
金峯山(吉野山から大峯山上ヶ岳一帯)の地主神である金山毘古神を祀る、吉野山の奥千本にある古社。中世以降は修験道の行場としても知られています。社殿を少し下った所に建つ義経隠れ塔は、追っ手に迫られた源義経が身を潜めたと伝わる小さな堂です。屋根を蹴破って逃れたという伝承から「蹴抜けの塔」とも呼ばれています。
住所:吉野郡吉野町吉野山1651
アクセス:
南阪奈道路・葛城ICより県道37号経由で、奥千本口まで約1時間
近鉄吉野駅からロープウェイ吉野山駅下車、徒歩約2時間 ※ロープウェイ運行状況は要確認

如意輪寺
延喜年間(901~923)に三好善行の弟で醍醐天皇の御帰依を被った日蔵道賢上人により建立された寺院。南北朝時代には、京都から逃れた後醍醐天皇が吉野に行宮を構えた際に後醍醐天皇の勅願寺とされ、南朝勅願寺ともなりました。南朝と大変深い関わりがある寺で、正平2年(1346)12月、四條畷へ出陣する楠木正行(楠木正成の息子)が一族郎党143人とともに如意輪寺に参詣し、本尊前に143名分の髪を奉納し、本堂の扉に辞世の歌を刻み、四條畷に出陣しました。宝物殿では、後醍醐天皇ゆかりの品をはじめ、楠正行が辞世の歌を刻んだ扉、兜、刀など南朝ゆかりのものを見ることができます。
住所:吉野郡吉野町吉野山1024
アクセス:
南阪奈道路・葛城ICより国道169号経由で約50分
近鉄吉野駅から徒歩約60分(タクシー約7分)

金峯山寺
修験道の根本道場である金峯山寺は、南北朝時代には南朝の重要な拠点ともなった寺院です。延元元年(1336)に吉野へ潜幸した後醍醐天皇は、まず吉水院(吉水神社)に入り、次いで蔵王堂の西にあった実城寺を行在所(仮の御所)と定めました。以後この地には南朝三代の歴史が刻まれ、跡地には現在、南朝四帝と忠臣を祀る三重塔・南朝妙法殿が建ち、皇居跡公園として整備されています。境内には護良親王(後醍醐天皇の皇子)ゆかりの四本桜や二天門跡も残ります。
住所:吉野郡吉野町吉野山2498
アクセス:
南阪奈道路・葛城ICより国道169号経由で約45分
近鉄吉野駅から徒歩35分(タクシー約12分)

吉野山
文禄3年(1594)、天下統一を成し遂げた絶頂期の豊臣秀吉は徳川家康・前田利家・伊達政宗ら錚々たる武将に茶人や連歌師を加えた総勢5千人を伴い、吉野山で盛大な花見を催しました。3日続いた雨が上がり、晴れ渡った山で豪華絢爛な宴が繰り広げられたと伝わります。舞台とされる中千本の豊太閤花見塚では、今も見事な眺望が楽しめます。
住所:吉野郡吉野町吉野山
アクセス:
南阪奈道路・葛城ICより国道169号経由で約50分
近鉄吉野駅からロープウェイ吉野山駅下車 ※ロープウェイ運行状況は要確認

吉野水分神社
吉野山にある水の分配を司る天水分大神を主祭神として祀る神社。子守宮とも呼ばれ、子授け・安産・子どもの守護神として信仰を集めます。豊臣秀吉が子授けを祈願し、のちに秀頼を授かったことから、秀頼が慶長9年(1604)に社殿を再建しました。桃山様式建築の三殿一棟造の本殿・幣殿・拝殿・楼門・回廊は国の重要文化財に指定され、華やかな姿を今に伝えています。
住所:吉野郡吉野町吉野山1612
アクセス:
南阪奈道路・葛城ICより県道37号経由で約55分
近鉄吉野駅からロープウェイ吉野山駅下車、徒歩約1時間30分 ※ロープウェイ運行状況は要確認

瀧川寺
上北山村小橡にある曹洞宗の寺院。明徳3年(1392)の南北朝合一の後、和睦の条件が守られないため、吉野朝廷(南朝)復興を唱える勢力が京の御所に乱入して三種の神器の一つ神璽(勾玉)を奪ったのち、南朝の系譜を引く北山宮(後亀山天皇の玄孫、自天皇とも)が神器を携えてこの寺に潜匿したと伝わります。長禄元年(1457)に赤松家の遺臣に北山宮が討たれると、村人たちは御首と神器を奪い返し、瀧川寺に手厚く埋葬したと伝わります。今も境内には北山宮の御墓が残され、御南朝哀史の君として崇められています。
住所:吉野郡上北山村小橡228
アクセス:
南阪奈道路・葛城ICよりより国道169号経由で約1時間35分



現在該当する施設はありません。



※古墳時代・飛鳥時代ページと【世界遺産】紀伊山地の霊場と参詣道ページは現在準備中です。
