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ページ番号:16267
更新日:2026年2月27日
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箸陵(はしはか)・上ツ道
大海人皇子軍の河内方面の戦いは、近江朝廷軍による襲撃で撤退を余儀なくされましたが、その後、援軍を得た将軍大伴連吹負(おおとものむらじふけい)は当麻の衡(たぎまのちまた)(葛城市當麻)に至り、壱伎史韓国(いきのふびとからくに)の軍と戦って近江朝廷軍を敗走させました。戦いの後、飛鳥の本営に戻ると、東方からの援軍の本隊も集結してきました。そこで、奈良盆地を南北に走っている上ッ道、中ツ道、下ツ道の三道に軍をそれぞれ配置し、将軍吹負は自ら中ツ道にあたりました。図らずも近江朝廷軍は中ツ道を進軍してきて、吹負の軍営を衝き、兵の少なかった吹負は防戦することすらできませんでした。しかし、従軍していた大井寺(田原本町付近にあった寺)の徳麻呂(とくまろ)らが奮戦して近江朝廷軍を押しとどめ、難をかろうじて避ける事ができました。
一方、大海人皇子(おおあまのみこ・後の天武天皇)側の三輪君高市麻呂(みわのきみたけちまろ)・置始連菟(おきそめのむらじうさぎ)は上ッ道を進み、箸陵のもとで戦いに挑み、近江朝廷軍を大破。勝ちに乗じて中ツ道の吹負らを救援します。近江朝廷軍は挟撃に軍を支えきれず、敗走しました。この後、もはや近江朝廷軍が攻めてくることはありませんでした。

インフォメーション・交通アクセス
箸墓古墳
【住所】桜井市箸中
【交通】JR 巻向駅 徒歩10分