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スタジオカメラマンの青年が、木づかいの町で暮らした3日間

更新日:2026年9月3日

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Day1

2025年12月17日、大雪。「熊蟄穴(くまあなにこもる)」の時季を過ぎ、動物たちが冬ごもりを始める頃。下市町で暮らし、「ねこのて舎」を営む岩城良平さんと史江(以下、ふうやん)さんが待つ下市口駅に、今回の参加者である大岩里王真さんがやってきました。

大岩さん:お待たせしました。大岩です。3日間、お世話になります。よろしくお願いします。

事前のオンライン面談で言葉は交わしているものの、出会うのは初めての三人。ですが、大岩さんと岩城夫妻、それぞれがまとう穏やかな雰囲気に、初対面ではないような安心感が漂います。

大岩さんは、東京在住の28歳。大学を卒業後、田舎と写真が好きだったことから、生活協同組合に所属するカメラマンに弟子入りし、修行の日々を経て、現在はスタジオカメラマンとして仕事をされています。いつかは田舎の平屋で暮らしたいという夢を抱き、縁のできた石川県や和歌山県など、あちこちを訪ねて移住先を探しており、今回ご縁があってプログラムへの参加を希望されました。

岩城家の車に乗り込み、まずは大岩さんの滞在拠点となる宿泊施設へ向かいます。

ここは、「ごんたの湯」と呼ばれる町立の保養センター「下市温泉秋津荘明水館」。この施設の2階部分が、大岩さんが寝泊まりする「下市温泉ゲストハウス」として運営されています。

白い暖簾をくぐって階段を上がると、下市町役場地域づくり課の松原さんが待ってくれていました。まずは松原さんから、下市町の概要や地方創生の取り組みなどをお聞きし、行政区としての町の大枠を掴む時間です。

パソコン画面がすでにモニターに映してあり、準備は万端。手慣れた様子で松原さんのプレゼンテーションが始まりました。

町の人口は4500人ほどで、面積の約8割が山林であること。かつて林業で栄えた時代があり、当時の町はとても賑やかだったこと。割り箸や三宝といった木のものづくりが盛んなこと。柿の産地であり果樹栽培も盛んなこと。50代続く日本最古の寿司屋があること。才谷・草谷・平原という3つの地区で活用されている集会所の事例、行政としての地域との関わり方について。

町全体の話から各地区への話へ、冗談を交えながら澱みなく話し続ける松原ワールドに一同すっかり引き込まれていきます。

学校の統廃合により使われなくなった旧校舎や、事業の縮小によって使われなくなった旧銀行、ガソリンスタンドといった空き施設の活用も大いに進んでいました。

旧広橋小学校は、住民が手がける体験施設「峠のまなび舎」に。旧秋野小学校は、木工職人の工房「木工森」に。旧下市南小学校は、株式会社パルが手がける体験型複合施設「KITO FOREST MARKET SHIMOICHI」に。旧下市中学校は、リングロー株式会社が手がけるDXの拠点「下市集学校」に。ならコープが、旧南都銀行下市支店を食品宅配販売拠点として活用し、町内唯一のガソリンスタンドもコミュニティスタンドとして運営。地元の豊永林業が手がける「吉野林業のゲートウェイ施設(仮称)」などの誕生も予定されているとのこと。

これだけの数の空き施設が活用されている状況は、一朝一夕では生まれません。早くから人口減少に伴う遊休施設の発生を予見し、民間事業者や企業の誘致・活用を進めてきたからこそのうねりを感じる内容に、一同舌を巻きました。

いきなり下市町の大きな可能性に触れ、大岩さんも「すごいですね!」と関心しきり。

松原さん:今回のプログラムのスケジュールを見せてもらうと、本当に下市のコアなところをいっぺんに回ってもらうみたいなので、楽しんでください。

松原さんに見送られ、続いて体験型複合施設「KITO FOREST MARKET SHIMOICHI(以下、KITO)」に立ち寄ります。

良平さんからざっと説明を受け、施設内を見て回ります。まずは、下市町や近隣市町村の選りすぐりの産品が売られたショップスペースにやってきました。

ふうやん:あ、おいしそうなパンがある!

ふうやんさんは、お隣の天川村のベーカリー「prana(プラーナ)」のカンパーニュを手に取り、大岩さんは草餅やKITOオリジナルのクラフトビールなどを購入。

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材木を販売するウッドショップでは、東京ではなかなか見ることのない、杉やひのきの大きな一枚板が売られています。

大岩さん:木のものがすごく好きなんです。テーブルを作りたいと思っていて、足をつけられる天板を探しているので、目移りしますね。

体育館を活用したキッズスペースを見学したり、明日訪問予定の家具工房「高野家具」が作る杉皮アートボードの質感に心惹かれたり、刺激の多い時間を過ごしました。

続いての訪問先は、創業約60年、吉野杉を専門とする製材所「花井商店」です。到着すると、テレビなどにもよく出演されている看板娘の花井慶子さんが迎えてくれました。

吉野杉は、目の通った木目と均一な年輪、香りとやさしい赤身が特徴の木材です。花井商店では、神社仏閣・伝統工芸に使われる最高級の杉から節のある特徴的な材まで、丸太から製材していろいろな状態でストックしているそう。

材木は乾いてないと出せないこと、よく出る寸法にカット製材してストックしておくこと。そもそも木の乾かし方や皮の剥き方など、知らないことだらけの大岩さんは、あれこれと花井さんに質問を投げかけます。

大岩さん:これ、家の椅子にいいなぁ。

大岩さんが製材所の隅にある丸太に注目していると、「そんなんやったらいくらでもあるから、あげるよ。持って帰り」と花井さん。

大岩さん:ええっ!いいんですか?あ、でもお金払います!

 

花井さん:ええよ、そんなん。あ、でも荷物になるやんな。東京まで送ってあげるから、送料だけ払てや(笑)。

慶子さんからの思いがけない提案に、大岩さんは大喜び。製材所からしたら使い道のない木の丸太が、大岩さんからすれば非日常の産物。無料でもらえるなんて、想像もしないのです。

大岩さん:うれしい!ありがとうございます!

配送の手続きをしたら、花井家のお家にも上がらせてもらいました。さすがは製材業が生業のお宅。隅々まで重厚な和風建築で、どこを見ても美しい設えです。その大きなお家の廊下に、所狭しと吉野杉の面皮の束が山になって置かれています。

「もうそろそろ整理しないと怒られる(笑)」と笑う花井さんは、製材所の仕事をしつつ、吉野杉の面皮を使った装飾品の作家としても活動をしています。

いずれ、自分で木工もできるようになりたい大岩さんは、花井さんにさまざまな助言をもらっていました。

花井さん:木のことやったらいくらでも相談に乗れるから、気軽に連絡してや。

かんな屑の塊を手にシュールな記念撮影をし、花井商店を後にしました。続いて向かうのは、花井商店のご近所にある吉谷木工所です。

創業115年を迎えた「吉谷木工所」は、三宝・神具の製造・販売を行う老舗です。到着すると、6代目の吉谷侑輝さんが出迎えてくれました。簡単な挨拶を交わし、早速中を見せていただきます。

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三宝をご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが、わかりやすいところで言うと、正月の鏡餅を乗せる木製の台座のことです。三宝製造は700年ほど前に始まって以降、このあたりの一大産業となり、多くの人たちの生活を支えてきました。全国シェアのなんと90%が、ここ下市町で作られているというから驚きです。

吉谷さん:でも、市場はとても小さくなりつつあるんです。

高度経済成長に伴うライフスタイルの変化により、瞬く間に需要が減退。下市町だけで30社以上あった製造所が、今では全国でも5社しかないだのそう。そこで、吉谷さんは、「神具から新具へ」というコンセプトを掲げ、新たな使い方を提案すべく新たなプロダクト開発や、情報発信、ワークショップなど顧客との接点づくりに懸命に取り組んでいます。

吉谷さん:2016年に三宝製造の核である「曲げ」の技術が日本遺産に登録され、三宝は名実ともに吉野を象徴する歴史・文化となりました。僕たちは、伝統の継承と新しい価値創造により、この技術と文化を未来につないでいきたいと思っています。

そんな吉谷木工所を象徴する「曲げ」を体験できる、三宝づくりワークショップをしていただけるとのこと。

吉谷さんの説明を受けながら、まずは土台となる筒胴の素材を持ち、切れ目を入れてある部分を折り曲げてみます。

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大岩さん:うわ!木がグニャリと曲がる感じ、不思議な感覚ですね!木じゃないみたいだ!

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四方を折り曲げた筒胴を留め具で固定し、続いて、その上に乗せる四角い折敷(おしき)の枠を組み立て、底板に瞬間接着剤で貼り付けます。

これで作業は終了。筒胴の上に折敷を乗せて完成です。

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とても簡単に、美しい三宝ができあがりました。

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吉谷さん:鏡餅以外でも、何か大切なものをここに乗せるだけで、ちょっと特別感を感じられる。時代はモノ消費からコト消費に変わってきていると言われていますが、三宝も不要なモノといえば、不要なモノです。でも、自分が大事にしたいコトをもっと大事にする存在として、暮らしの身近なモノになればいいなと思って、最近はあちこちでこのワークショップをさせていただいています。皆さんもぜひ三宝を使っていただいて、そのよさを広めてもらえたらうれしいです。

木が大好きな大岩さんは、曲げの技術を活かしたトング、その名も「TONGI」と、20角形に曲げられた木枠を購入。別で部品を買ってきて、時計のフレームにする構想のようです。

吉谷さんと別れたら、この日のプログラムは終了。近くのスーパーに翌日の朝食や飲み物を買いに立ち寄ります。

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その後、下市温泉ゲストハウスに戻り、温泉に入って一日の疲れを癒してから晩御飯を食べに、岩城夫妻おすすめの居酒屋「漁」に。

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刺身やせせりなど、大将の作る料理をあてにどんどんお酒が進む大岩さんと良平さん。互いの良いところを褒めあったり、感動したことを熱く語ったり。気がつけば、今日が初対面とは思えない、なんとも仲良しの三人組が誕生していました。

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閉店時間までたっぷり過ごした一行は、ちゃっかりと大将との記念撮影もさせていただき、スタッフの人たちにもかまってもらうなど、ご機嫌な夜が賑やかに更けていきました。

Day2

2日目の朝、昨晩の余韻が冷めやらぬAM8時。この日はまず、下市の山仕事のひとつである、高野槙(コウヤマキ)とりの現場を見せていただくために、広橋集落に向かいます。

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高野槙は古くから仏教と関わりがある植物で、特に高野山真言宗でお供えする「香木」として重宝されてきました。現在もお供えや法要、お盆やお彼岸などの仏花として広く利用されています。

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出迎えてくれた北垣内さんと岡西さんは同い年の幼馴染で、お世話になっていた先代の親方が亡くなったのをきっかけに、高野槙の栽培・販売業をお二人で受け継いだのだそう。

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長さと枝振りで選別された高野槙を、手際よく切り揃えます。出荷を待つ高野槙の花束は、とても美しい姿をしていました。

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ちなみに北垣内さんは庭師、岡西さんは造園や農作業、養蜂などをされながら、作業のある春夏秋の3回この仕事をされているそう。本業とは別の季節労働という選択肢を持っていなかった大岩さんは、「なるほど、そういう働き方もあるんだ」と、新たな発見を喜んでいました。

良平さん:高野槙とりは時給がええんよ。田舎はちゃんと人間関係をつくれたら、仕事はいくらでもある。一ヶ月だけ住み込みでバイトして、終わったら別のところに行く旅人みたいな生活をしてる人もおるよ。

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地面に生えた実物の高野槙を見せてもらったり。

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養蜂の巣箱を見ながらハチミツの作り方を教えてもらったり、一見強面の岡西さんが、夜な夜なハイボールを飲みながら「ちいかわ」見ている話になったり。

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笑いながら新たな働き方にも気づく、学びの深い時間でした。最後に、「こっちに移住するんやったら、多少は力になれると思うで」という心強い言葉と、お土産に一本、高野槙の花もいただき、大岩さんは大喜び。お二人のやさしい笑顔に見送られ、次の目的地へ向かいます。

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続いてやってきたのは、同じ広橋集落にある「峠のまなび舎」。ここは、旧広橋小学校を活用した交流施設で、管理・運営しているのは、「一般社団法人峠のまなび舎」の代表を務める高野加織さんです。

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加織さんは愛知県の出身。2011年当時、東京で暮らしている際に発生した東日本大震災をきっかけに西方への移住を検討し始め、下市町に、夫である大輔さんの祖父母のお家が空き家の状態であったことから、2013年に家族で移り住んでこられたそう。

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簡単な挨拶を交わしたら、坂道の上にあるグラウンドへ。そこには、広橋という集落がいかに高台にあるかがわかる眺望が待っていました。

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翻って坂道を下り、加織さんに促されて木造校舎の中に入ると、そこにはタイムスリップしたような懐かしい世界が広がります。

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下市町出身で、昭和から平成にかけて、吉野を拠点に活動した日本を代表する歌人・前登志夫さんのこと。エミ・マイヤーさん、中村佳穂さん、マイケルカネコさん、児玉奈央さんなど、有名音楽フェスにも出演されるミュージシャンを招いた「manabiya音楽会」を企画・開催して、全国からファンの人たちが訪れてくれたこと。

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木造校舎ゆえに消防法がクリアできず、飲食店や宿泊施設にできないこと。資金を生まないと維持管理ができなくなること。なんとかこの建物を残したいと思っていること。この場所に関わるようになって10年以上が経ち、さまざまな出来事を経てきたからこその視座から、加織さんはいろんな話をしてくれます。

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続いて、もともと教員住宅だったという宿泊棟「つわいらいと」へ。

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やや古びた、一般的な現代住宅然とした外観と異なり、内装はカラフルな色使いがかわいらしい雰囲気で統一されています。これは全て、加織さんが自身で色を塗ったり、家具を揃えたりしてきたそうです。

加織さん:以前は消防団の寄り合いや、書道教室などがされていたらしいんですけど、自分でフローリングも貼って、壁もペンキで塗りました。2階もあるんだけど、そっちも漆喰を剥がして塗り直して。全部で7~8ヶ月はかかったかな。大岩くんはどうして移住しようと思っているの?

 

大岩さん:ずっと、東京での生活に疑問があるんです。消費、仕事、場所も時間も嫌になってくる。そんな時に、田舎が好きだった原体験があって、最後は田舎に住みたいって思っていて。

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そんな大岩さんに、加織さんは「結局住めば都にするのは自分だからねぇ」と笑顔で言葉をかけます。

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加織さん:私も、東京にいたときは、目の前の消費とお金を得ることで精一杯になって、それにまつわる人間関係に疲れちゃったこともあって。でも、こちらにくると、お地蔵さんを見るだけでホッとしたりして、そういうものに思いを馳せる時間があると、日常のどうでもいい話が気にならなくなるよ。

 

とか言って、私は愛知の豊川市で育ったんだけど、ずっと出ていってやるって思ってて。当時は東京に行きたくて仕方がなかったのね。で、実際東京での生活は、それはもう楽しかった。でも、東日本大震災が起きて、自然と暮らしの距離が近い、なんでも作る生活のほうが豊かじゃないかって、そっちにフォーカスが当たって、食べ物に近いところに住みたいって思った。それでこっちに来るんだけど、田舎は田舎でいろいろある。でも、何事も異物が入ることでストレスが生まれるのは当たり前で、土地もそう。少しずついい感じになじんでいくんじゃないかと思ってる。

自らが感じている疑問と同じ疑問をもちながら、実践を積み上げた加織さんの話に、大岩さんは真剣に耳を傾けていました。

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そのまま歩いて、加織さんの夫・大輔さんが主宰する「高野家具」の工房へ。

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「高野家具」では、主に杉皮を使った家具やアートボードなどを制作しています。杉皮は水分への耐性が高く、古くは屋根や塀、外壁などに使用されてきましたが、現在はそのほとんどが捨てられているそう。

大岩さんが大輔さんに「なぜ杉皮なのか?」と問うと、「質感が好きだから、かな。だって、かっこいいでしょ?」と、大輔さんはにっこり。

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工房の入り口に置かれた什器には、大輔さんが製作した小物たちがディスプレイされていました。ティッシュボックスやペンホルダー、テープカッターといった雑貨に加え、アロマオイルや蒸留水スプレーといった、やや異質な商品も。

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大岩さん:アロマオイルも販売されているんですか?

 

大輔さん:ああ、それはちょっと頼まれて、オイルから作ってるんです。裏に機材がありますけど、見ます?

「こっちです」という大輔さんに促されて、建物の外へ。

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案内された半外の空間に、見慣れない器具が置いてありました。

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大輔さん:これはアロマオイルを抽出するための機材なんです。あるところから製造を頼まれて、機材分の予算が出るということだったんで、写真を見ながら自分で組み立てました。

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オイルを抽出する素材は、なんと捨てられてしまう高野槙の切れ端だそう。「先ほど加工を見学させてもらったばかりなので、どの部分なのかが想像しやすい」と大岩さん。

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サンプルを嗅がせてもらうと、ライムのような果実味のある爽やかな香りが漂います。

大輔さん:蒸留水はサウナのロウリュ(焼けた石に水をかけて蒸気を発生させる方法)とかで使うのもよさそうだと思うんですけど、やってみてわかったのは、この作業をしてると一日の半分くらい時間を取られちゃうってこと。あんまり効率が良くないので、自分で作って自分で売るみたいなことは考えてないですね。

東京での消費中心の生活に疑問を感じている大岩さんは、自分の手でさまざまなものを生み出す大輔さんの言葉に、大いに刺激を受けていました。

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高野夫妻に別れを告げ、今度は再びのKITOへ向かいます。到着すると、「株式会社パル」の平野孝嘉さんが迎えてくれました。

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先述の通り、KITOはもともと旧下市南小学校舎を活用した施設。当時の机や椅子がそのまま使われている教室で、スライドの映像を見ながら、「下市地域共生プロジェクト」について、改めてお話を伺います。

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平野さんのこれまでの経歴、パルグループの概要や下市町とのつながり。リサーチの過程でタウンミーティングを行ったことや設定したターゲット、ミッション、導き出したコンセプトとブランディングなど。個人として、企業として、KITOという企画に関わり届けていきたい思いなど、平野さんはやわらかな口調で伝えてくれます。

お話の後は、昨日時間が足らず立ち寄れなかったスペースを回ります。

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下市町に住む作家さんたちの作品を販売するスペースや、放送室を活用した撮影スタジオ施設。レンタルオフィスやギャラリー、体験ルームも見せていただきました。

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最後に、平野さんの関心が生かされたクラフトビールの醸造施設も案内いただき、ビールの作り方やこれからの展望についても伺いました。

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平野さん:集客力、発信力のある「場所」を起点に、あらゆる人がつながる、小さな経済圏をつくる。というヴィジョンを目指して、これからもいろんな方々と協力して取り組んでいきたいと思っています。まだまだ使えていないコンテンツもあるので、皆さんもぜひ、ここで何かやりたいことがあったら声をかけてください。

KITOを後にし、岩城家に向かう途中で、良平さんは猟師の田中さん宅の前に停車しました。

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お目当ては、晩ごはん用の猪肉。大岩さんにジビエを食べさせてあげようという、岩城夫妻の計らいです。再び車に乗り込み、ほどなく岩城家に到着。お二人の生活空間にお邪魔しつつ、お昼ごはんの時間です。

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大岩さん:うわー!めっちゃいいですね!こういうお家、理想です!

岩城夫妻のお宅は下市町の山手、栃原集落にある築150年の重厚な古民家。たっぷりと日が差し込む心地よい中庭からは、山々を見渡せる眺望が広がっています。

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お家に上がらせてもらい、机の上に陣取って動かない愛猫チッチと戯れてから、縁側に座って、良平さんが用意してくれていたお弁当をいただきます。

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主に水回りだけリノベーションして住んでいること、大家さんとのご縁、集落の様子。岩城夫妻といろんな話を交わします。なかでも、家賃の話を聞いた大岩さんは、「うわ!めっちゃいい!」と、都会では考えられない金額に驚きを隠せませんでした。

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ごはんを食べ終わったら大岩さんは納屋の2階に上がり、「ここに住みたいです!」と笑顔。

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参加者として集中したいと、これまでほとんど構えることのなかったカメラを手に、一枚、また一枚とシャッターを切っていました。

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良平さんが育てた柿。甘くて優しい味がしました。あたたかくて、ゆっくりのんびり、おなかいっぱい。なんとも幸福な昼下がりを過ごした後は、次の目的である日本最古の寿司屋「つるべずし弥助」へ。ふうやんさんは、夜の懇親会の準備でいったん別行動です。

76「つるべすし弥助」が創業したのは、なんと800年余前。文楽・歌舞伎の三大名作のひとつ「義経千本桜」にも登場し、文人の吉川英治や谷崎潤一郎、歌手の美空ひばり、歌舞伎俳優の18代目中村勘三郎など、著名人も多数訪れた老舗中の老舗です。

8現在の建物は昭和14年築の木造3階建て。ベンガラの赤壁にせまる崖に見立てた山庭を一望できる3階大広間で、鮎料理を中心とした懐石料理や寿司定食などを味わうことができます。

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ご案内いただいたのは、50代目当主の宅田弥助さん。「50代目」という響きもすごいものがありますが、襲名制度が採用されているというのも驚きです。

宅田さん:うちはご覧の通り山肌に庭園がありまして、いわゆる立庭(たちにわ)のあるお店です。先先代が拵えたものなんですが、春は藤や梅、夏はさるすべり、秋は紅葉と、季節ごとの風景を楽しみながらお食事をしていただけます。

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つるべすしとは、酢でしめた鮎のお腹にすし飯を詰めたもの。それを入れていた桶の形が井戸水をくみ上げるつるべに似ていることから、そう呼ばれるようになったそうです。

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日本最古の寿司屋とされ、幕末の頃には京都の仙洞御所(譲位した上皇の御所)の御用達になるなど、栄華を極めた時代もありました。ただ、800年も続けば浮き沈みもあるそうで、京都に出て料理人として働いていた宅田さんは3年前、閉店寸前になっていた弥助に戻って来て、立て直しのために奮闘します。

宅田さん:たくさんの人のお力をお借りしながら、そのときできることを精一杯やって、なんとかこうしてお店を残すことはできました。ただ、続けるだけでは衰退していくことは明白です。これからの時代に応じて、守るべきものは守り、変えられるところは変えていかなければなりません。

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宅田さん:このつるべの桶は、古いものはもう残っていなくて、新たに職人さんに作ってもらったんです。つるべすしを販売しているわけではないので、作ったところで、直接売り上げにはつながりません。でも、新しいものを作るときも基本は変わらない。土台があるから新しいものが生まれる。この桶は、その象徴なんです。

 

うちのお店の基本は「寿司と料理」だと聞いて育ってきました。一方で、丁寧に掃除する、物を大事にする、そういう店としての基本の積み重ねが、人に伝わる。料理はもちろん、料理以外の部分でもお客様に感動していただけるように、これからも頑張っていきたいと思っています。

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お忙しい中ご案内いただいた宅田さんに感謝を伝え、2日目最後の訪問先、「うえもり農園」にお邪魔します。

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うえもり農園は、岩城夫妻が暮らす栃原地区で代々100年ほど続いている果樹農家。主に梅・柿・キウイフルーツを栽培されています。赤い、かわいらしい看板の横を入っていくと、園主の植森徳和さんが待ってくれていました。良平さんは栃原に住んでから、農業のこと、集落のことなど、徳和さんからさまざま教わっているといいます。

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ぱっと見ぶっきらぼうそうに見える徳和さんですが、大岩さんが挨拶するなり、「大岩くんか、ええ子やん。こっち来たらええねん。そうしや」と言い放ち、みんな大笑い。良平さんも思わず「なんやねん!(笑)」と突っ込みます。

そんなユーモアたっぷりの人柄に一瞬で心を掴まれた大岩さんを連れて、徳和さんの独演会ならぬ農園案内がスタート。

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徳和さん:冬の時期になったら、いらん枝を落とすねん。実が着き過ぎたら一個一個が小さなってしまう。枝が葉っぱの葉脈みたいな形になるようにしていくねん。

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徳和さん:この辺は田舎やいうても、大阪は1時間で行けるからそれなりに便利やし、日本のど真ん中で海もなくて災害にも強い。安全っていうのは住む場所を決めるときに、めちゃ大事やで。ほんまに。

徳和さんの独特な語りに、大岩さんは笑ったり、頷いたり、楽しそうに受け答えをしています。

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農園をぐるりと回った後、お母さんやお父さんに挨拶をすると、「時間あるんやろ。上がっていきや」と、田舎らしい、ありがたいお誘いが。

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土間からすぐの座敷に上がらせてもらい、温かいお茶とスライスされた干柿をいただきます。畑のこと、大岩さんの思い、町の印象など、雑談に花を咲かせているうちに、気が付けば辺りはすっかり暗くなってきたので、お暇することに。

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キウイフルーツのお土産を持った大岩くんに、徳和さんがポツリと声をかけます。

徳和さん:またおいでや。

とってもやさしい植森家のみなさんに見送られ、一行は懇親会場の「下市温泉ゲストハウス」へ。

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到着すると、懇親会の準備のために強力な助っ人が来てくれていました。お隣の吉野町に住むというお料理上手の近藤さん、通称こけみんです。

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良平さんの育てたカラフルな3種の大根とKITOで購入した野菜がメインの「カラフルサラダ」。蒸した玉ねぎのドレッシングも手作りです。

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こちらも良平さんが育てた黄金カブを軽くソテーして、柿と生ハムを楊枝で刺し、柚子塩麹のドレッシングで味付けした「黄金カブと柿のピンチョス」。

7塩麹でもんだ大根と海老(ハム)を酒と胡麻油と塩胡椒で味付けして春巻きにした、「ころっ娘大根と海老(ハム)の春巻」。

6ごはんをからし菜の漬物で巻いた奈良南部の伝統食「めはり寿司」はふうやん作。

8そして、昼間に購入した猪肉のボタン鍋もふうやんが担当。白味噌と赤味噌をブレンドして味付けしました。こけみんとふうやんのヘルシーで彩り豊かなお料理が、会に花を添えてくれます。

5花井商店の慶子さん、高野家具の大輔さん、木工作家の大竹さんに役場の松原さんというメンバーが懇親会に駆けつけてくれました。乾杯をして、こけみんさんの美しい料理に舌鼓を打ちながら、下市町の魅力や、昼間話せなかったそれぞれの身のうち話、これからの町の行末についてなど、さまざまに語り合いました。

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11少し遅れて、とにかく明るい吉谷木工所の吉谷さんも合流。誰が言ったか「生まれる場所は選べないけど、生きる場所は選べる」という金言まで飛び出しました。

1ここまでで実に11箇所、20人と対面。下市町にはこんなにも面白い人たちがいるんだと実感しながら、2日目の夜も更けていきました。

 

Day3

3日目の朝。この日も天候に恵まれ、12月の凜とした寒い空気と暖かな日差しが心地よい、絶好の神社参り日和です。

4まずやってきたのは、丹生川上神社下社。飛鳥時代に天武天皇によって創建された神社で、雨乞いの神、日本最古の水神を祀ることで知られています。

大岩さん:あ、馬がいる!

境内の囲いに馬に関する注意書きを見た大岩さんに対し、良平さんが解説します。

良平さん:昔の人たちは雨が降らないと雨乞をしたんやけど、当時、白馬は神様に捧げる生贄やってん。ここの馬はもちろん生贄じゃないけど、そういう文化の名残なんよ。

3拝殿の前で、三人で息を合わせて参拝。普段、ほどんど神社を参ることがないという大岩さんに、良平さんは語りかけます。

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良平さん:土地の信仰を大切にするという行為は、住んでいる人たちへのリスペクトを示すことになるんよ。だから、田舎で暮らしていこうと思ったら、大事にするといいよ。無理難題に応える必要はないけど、僕らはそういうのを大事にしたいと思ってたから、「神社のお掃除一緒にさせてもらってもいいですか?」ってこっちから聞いて、最初は断られたりもしてたんだけど、ある時から一緒にさせてもらうようになって。

 

で、掃除してたら「ありがとう」って言ってもらえて、そうやって地域になじんでいくことができた。まつりって「間の釣り合い」からきてるとも言われてて、定期的に人と人の「間の釣り合い」をとるのにすごく役に立つんよね。

田舎暮らしの実体験に乏しい大岩さんには、少し難しい話だったかもしれませんが、理解しようと努めている様子が伺えました。

6そうしていると、赤い服の女性に連れ出された白馬が鳥居の前を歩いていました。差し込む朝日、清らかな空気。川を水が流れる音。その中を歩く馬の姿は、より一層神々しく見えました。

78続いて向かったのは、栃原地区の氏神である「波比賣(はひめ)神社」です。山手の栃原の中でも高い場所にあるため、車に乗ったまま長い参道を上がっていきます。やがて頂上について車を止めて外に出ると、そこにはこの体験一番の絶景が待っていました。

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大岩さん:うわ!すごい!これは撮りがいがある!

そう言ってカメラを構え、興奮した様子でシャッターを切る大岩さん。

良平さん:ここから見えてるのは、五條とか西吉野方面やねん。西吉野も果樹栽培が有名なところで。で、あのモクモクと上がってるのは、剪定した枝を燃やしてる煙なんよ。果樹農家はみんな大体同じタイミングになるんよね。俺もやらなあかんねんけども(笑)。

10大きな祭りが2回あること、秋祭りでは氏子の女の子たちが神楽を踊ること。ごくまき(餅まき)は大盛り上がりすること。飲んで食べてが楽しいこと。集落の様子の話を聞きながら、土地の氏神さまに参拝します。

1清々しいお参りを重ねた後は、岩城夫妻が植森さんから借りているという、「ねこのて農園」を訪問。年間を通して、野菜やスイカなどを育てているそう。

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良平さん:広さは2反ないくらいやねんけど、今大根がとれるから、もっていってや。この辺、いんちゃうかな。

良平さんに促され、大岩さんが大根のへた部分を掴んで、力を込めます。ズボ!っと抜けた大根を手に、「豊かですね〜」と大岩さんは満面の笑顔。自給自足を夢見る若者は、一層目を輝かせていました。

34農園見学の後は、空き家見学です。「NPO法人空き家コンシェルジュ」に勤める近藤さんは、先に待ち合わせ場所に到着されていました。実はこちらの近藤さん、昨日ごはんを作ってくれたこけみんさんの旦那さんです。

6空き家コンシェルジュは、2013年から全国の空き家活用が進むように活動してこられたNPOで、下市町からも委託を受けて、空き家物件の案内、リサーチやセミナーの開催、各種手続きに必要な人材とのマッチングといった事業を行っています。

7ご案内いただいたのは、昨日ジビエを買わせてもらった田中さんの持ち家です。もともと柿農家だったご親戚のお宅で、柿山はなんと8反、つまり8000平米の広さがあるのだとか。

8人が住まなくなってかなり年数が経っているので、傷みのひどいところも多く、蔵が崩壊していたり、物件としてはなかなか厳しい状態でしたが、眺めがよく、かつて自然と共に力強く生きる暮らしが確かにあった、その名残を感じる時間でした。

9ここで一旦、空き家コンシェルジュの事務所がある下市町役場に立ち寄り、近藤さんから、現在の下市町で受けられる補助金や移住の際のポイント、気をつけるべき法律、空き家の見つけ方などのお話を伺いました。

6空き家の専門家と話せるチャンスとあって、大岩さんは真剣な眼差しで、近藤さんにたびたび質問をされていました。

7説明を終えたら近藤さんの車に乗りこみ、町内をぐるりと走ります。道すがら、近藤さんが把握している空き家をいくつか教えてもらいました。

89車内で大岩さんの要望を聞いていた近藤さんが「一軒、もしかしたらっていう物件があるんですけど、中は見れないですが、行ってみますか?」と提案。「見たいです」と即答する大岩さんを連れて、ある物件を紹介してくれました。

山の中、周囲の家から少し距離があって、日当たりもよい立地。今日見た中では一番イメージに近かったようで、大岩さんは歓声をあげます。

近藤さん:家主さんは、大岩さんみたいな人に住んでほしいと思って、改修されています。すぐに住める物件なので、もし本当にご興味があれば、いつでもご連絡ください。その他にも、ご要望に合いそうな物件が見つかったら、メールで連絡させてもらいますね。

近藤さんと連絡先を交換して、これでいよいよ移住への準備は万端。プログラムも全て終了し、下市温泉ゲストハウスに戻って、3日間の振り返りを行います。まずは参加者の大岩さんから。

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大岩さん:こんなにいろんな方を紹介していただけると思ってなくて、自分でもあちこち田舎巡りはしていたけど、一人で遊びに行くのと、現地の人につないでもらうのでは、見えること、感じられることがこんなにも違うのかと思いました。これまでの旅では、そこで暮らしている人たちの本当の姿は見れていなかったんだなという気がして、こういうふうに現地の人につないでもらうかたちで、他の地域にも行ってみたいと思うくらい、よい機会でした。

 

移住希望者として来ている自分を気にせず、それぞれに会話している場面があって、そういう場面に、自然にいられたことがうれしかったです。いい意味でお客さん扱いされなかったというか、皆さんの素が見れたというか、それが味わえてよかったです。

 

僕は、「不安定であることへの不安」みたいのが根底にずっとあるんです。仕事が決まってないと不安だったり、例えば農業も収入が上下して不安定なんだろうなと、そういう「不安定」にばかりフォーカスしがちなんですけど、下市の皆さんと出会って話していくと、だんだんその不安が軽くなっていくというか、こんなに地域の人が助けてくれるんだなとか、ビールを作ってみたいと思ったら教えてくれる人がいるんだとか、地域の人につないでもらえれば、いろんな関係をつくっていけるんだろうなと思いました。

 

特に印象的だったのは、お二人が神社でお話ししてくださった、「土地の信仰を大切にするという行為は、住んでいる人たちへのリスペクトを示すことになる」って言葉です。今生きている人が大事にしていることを大事にするって、地域に入っていく人間として最低限必要な礼儀なんだろうし、それができるからつながりが深くなっていくんだろうなと。

 

あと、昨日大竹さんに会えてよかったです。年が近くて。境遇が似ていたりとか、話もしやすくて、彼自身も「同世代がいてくれるとうれしいな」ってポロッと言ってくれてて、同世代に会えたのもうれしかったです。3日間、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

続いてふうやんさん。話し始めようとすると、思いが込み上げてしまうようで、「だめだぁ」と笑います。

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ふうやん:何に感動しているのか自分でもわかってないんだけど、なんだろうな、外からこうやってきた人がね、その地域のことをちゃんと大事に思って、心を開いて、言葉を紡いでお話をしてくれることがなんか、すごいなぁと思って。ごめんねぇ(泣)。自分もそうありたいな、これから外から来てくださる人に対して、還元したいなって思っています。来てくれて本当にありがとう。

4最後は、良平さんです。

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良平さん:飲みの席とかで喋ってるから同じようなことやねんけど、迎え入れて案内したというよりは、来てくれたから、いろんな人と話ができた。近くに住んでるから、普段から知り合いやし、でも、だからこそわざわざ会って、昨日飲み会でしたような話はしないんですよ。

 

例えば、吉谷くんがやってることってめっちゃ可能性あるのにもったいないなとか、こんなアイデアとかあんのになとか思ってるんですけど、そんなんわざわざ言いに行かない。いつもは「彼女できたん?」とか冗談とか言って、そんなんだけなんやけど、そんなわざわざ言わないようなことも、こっちも聞けるし相手も聞いてくれるし、ていうのは、大岩くんが来てくれたからできたことで、すごく深い経験をさせてもらったなって思ってます。

 

あと、俺の話やねんけど、大岩くんの力を借りて、この町にはこんなにも面白い人たちがおって、その近くで自分は暮らしてたんやていう幸せをばーんて見せられた感じの三日間でした。

 

「移住者」と「地元の人」とかいうんやけど、そんなん関係ないと思うんすよ。いったい何年住んだら「地元の人」やねんとか思うし。移住って、人が移り住むだけじゃないですか。人と人だから、そういう部分では、大岩くんはもちろんまだ短い時間しかいないけど、みんな地元の人が好きになってたし、今朝も「大岩くんどうしてる?」とかってあちこちから連絡くるんですよ。それって住み始めてもそうやと思うんで、だからまぁ、いろんな状況とかもあるからもちろん移住するしないってわからないけれど、昨日「春に泊まりに行っていいですか?」って言ってくれたのがすごく嬉しくて、そんな感じで移住者と地元民じゃなくて、人と人って感じでこれからも交流していけたらいいなと思います。今後ともよろしくお願いします(笑)。

11こうして、実に多くの人に出会えた下市町の「暮らす奥大和」は終了しました。

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最後に、岩城さんがおっしゃっていた「何年住んだら地元民やねん」という言葉を聞いたとき、以前ある記事を読んだときにふと頭に浮かんだフレーズを思い出しました。

人は、そこに生まれたから地域に根差した人になるのではなく、地域に受け継がれてきた「認識」を受け継いだときに、その地域に根ざした人になる。

田舎で生まれた人でも、その地域で受け継がれて来た「認識」を好まない人はたくさんいます。逆に、外から移り住んで、その土地を好きになっている人は、おしなべてこの「認識」を面白がっていたりします。神社を一緒に掃除したり、日々村と関わることで土地の文化への理解が深まり、近しい言語を話せるようになる。そうして、人は自分が住まう地域の一員になっていくのかもしれません。

大岩さんがその「認識」を受け継いでいく地域が下市なのか、他の地域のになるのかわかりませんが、今回のプログラムの体験ひとつひとつが、大岩さんの人生の今後の指針になるはずです。またいつか、それが下市町でもそうでなくても、大岩さんが住むことになった地域の「認識」について、語り合える日がくるのを楽しみにしています。

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文=赤司研介(imato)写真=百々武(dodo)

 

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